社会人に肝心な「ツッコまない力」
社会人に必要なスキルは――なんて言葉を、入社前後の研修で口酸っぱく言われたことがある人は多いのではないだろうか。
曰く、マナー力だとか、論理的思考力とか、働きかけ力とか。
挙がるものは幾つかあるけれど、中でも一番大事な能力は「ツッコまない力」だと私は思う。
私は、ツッコミを入れてしまいがちな人間である。
「そんなわけねえだろ!」みたいなシンプルなものとか、「いや、サカナクションか!」みたいな喩えツッコミ――。
そのツッコミも、インターネットで文章を書くぶんには役立つのかもしれない。しかし、日常的な社会生活を送るには邪魔なんだろうな、と日々思う。
会社に限らず、誰かと一緒に過ごすということは、「これは……」と思うことの連続である。
それまでの人生が違えば、価値観や習慣が異なることは当たり前で、それらにいちいちツッコミを入れるのはまったく今風ではない。
だから私も、「目玉焼きにソースっておかしいだろ!」みたいなツッコミをすることはない。
しかし、ときにある「理屈からしてにおかしい」という場面では、つい反射的にツッコミをしてしまう。
そして、「変な空気」にしてしまうのだ。
ある日上司から、別の部署が映像会社にお金を払って作った、というある動画を見せられた。
それは、会社や製品のプロモーションに活用する動画らしかったのだが、端的に言ってその出来はひどいものだった。
何を主張したいのかが分からないし、ところどころに内輪ノリを挟み込むユーモアのセンスのなさは絶望的だった。
とはいえ、これにツッコミを入れてはいけないことは私にも分かっていた。
もう動画は完成した後だったし、何よりシナリオを考えたのは社内の人で、ツッコミを入れればすなわち、その人に喧嘩を売ることにほかならないからだ。
しかし、気づけば私は「いや、嘘だろ……」と呟いていた。
そんな私に、上司は「お前はサラリーマン失格だな」と言った。
ツッコミを入れるということは、疑問を持つということだ。
それがなければ生きやすいというのはあるのだろう、と日々思う。
私はそもそも「社会人」という言葉が嫌いだ。会社員になれば社会人だなんてのはとても馬鹿らしいと思う。
しかしそういう些細なことににいちいち引っかかっていては、「社会人」としての生活は乗り切れない。
実際に口にしてしまえば「変な空気」にして敵を作るし、口にしなくてもモヤモヤは澱のようにたまるからだ。
「ペーパレス化のチラシを紙に印刷して持っていくんですか!?」と言うべきではなかった。
「それはただのパワハラなのでは」と言うべきではなかった。
そんなことは、そもそも思うべきじゃなかったのだ。
私は分かってます風な「革命戦士ごっこ」は何の役にも立たないのだから。
受付では、例の動画がリピート再生されている。
それを見ないふりをして、私はその奥の会議室に向かう。
肝心なのは「ツッコまない力」だ。
成立していないジョークも、決まっていない演出も、目くじらを立てるほどのことではない。
「変な空気」を作ることに比べたら、そんなのは全然大したことではない。
【今日の一曲】
斉藤和義/オモチャの国(2018)
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