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貴様いつまで「走る」つもりだ問題

テレビをつけると、永野芽郁が街を走っていた。

それはカルピスウォーターのCMで、新入社員である永野芽郁が「ドキドキしすぎて寝坊」して、会社に向かうべく走っていたのだった。

なんとかオフィスにたどり着き肩で息をしていると、先輩社員と思しき結木滉星に「間に合ってよかったな」と言われ、「またドキドキ」する――。


永野芽郁とカルピスの組み合わせで言うと、私のなかでは、BUMP OF CHICKENの「宝石になった日」とタイアップしたCMのイメージが強かった。

白いワンピースを着た彼女が、海沿いの街の坂道を駆けながら振り向いて「早く!」と笑顔で手招きする。一緒に走る彼らは高校の同級生で、きっとそれが3年生の夏。

開けた場所に出た彼らの顔を、打ち上げ花火が照らす――。


このCMは2016年つまり4年も前に放映されたものだ。

その後、彼女は今までに大きく名の売れる仕事をいくつかしてきた。

しかし、私のなかで彼女についてはこのCMの印象が強く焼き付けられていて、カルピスのCMとなるとなおのこと真っ先にこれを思い出すのだった。

だからこそ、私は冒頭に挙げた、彼女が新入社員を演じるCMを見てビックリしてしまった。

「え? 永野芽郁って、もう会社員を演じる年齢なの?」と――。


本当に、これにはたいそう驚いてしまった。

永野芽郁が演じる人物の社会的属性の変化については前述のとおりだ。

だがなにより、「もう会社員を演じる年齢なの?」である。

これはまさしく親戚や近所の人が若者に対して抱く感情そのもので、まさかそれを、永野芽郁に抱かされるとは思ってもみていなかった。

そして、なんだか一気に老け込んだみたいな気がしてしまった。


私はもうカルピスウォーターのCMの名も知らぬ彼女のように新入社員ではないし、「仮面病棟」の川崎瞳みたいに大学生でもないし、ましてや「帝一の國」の白鳥美々子みたいに高校生じゃない。

「ドキドキする」ような「始まり」もどんどん減っていき、「ドキドキ」は高揚感より恐怖で感じることが多くなり、足がすくみ、どんどんこの腰は重くなっていくのではないか。

そんな恐怖にかられながら、街を走る永野芽郁を見ていた。


「いやー、もう走れないね」と二十歳を超えた人たちがしたり顔で言う。

もう若くないから、とか、酒で膨れた腹では、とか。

しかしそこに、残念だ、という響きはない。

その言葉は、翻って「自分はもう大人だ」という謂でしかないからだ。


その「カラクリ」に与するまいと、それを努めて言わないようにしてきた。

まだ若いと嘯いて、飛び跳ねたり、意味もなく走ったりもした。

しかし、学生の頃はまだしも、今なおそう振る舞うのはあまりにも痛々しいのではないか、と思う。

「いつまで走れるのか?」という問いはもう成立のかもしれない。

街中で、市民ランナーのほかに、疾走する大人がいないことを想起してみてもそうだ。


パンツにジャケットという大人めいた服装に身を包んだ永野芽郁は、しかし新入社員として、「若さ」の側に寄せて描かれている。

だからこそ成立している彼女の疾走は、私に「いつまで走るつもりなのか?」という問いを突きつける。

その軽やかさによって、そして私が勝手に感じた驚きによって――。


「もう大学生なの?」「もう会社員なの?」

そんな、かつて自分がかけられた「もう」が、私のなかに蓄積されていく。

身体は次第に重くなり、世界のスピードに追いつけなくなる。

それに抗うべきなのか。それとも従うべきなのか。

こんな青臭い問いについて、この歳になっても、なんだかウダウダ考えている。

それもこれも、ぜんぶ永野芽郁のせいだ。


【今回の一曲】

BUMP OF CHICKEN/宝石になった日(2016年)


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