予防接種が嫌いだった
小学五年生の冬、私は生まれてはじめてインフルエンザに罹った。
その日は、朝起きるなり身体がだるく、起き上がろうとしたところ嘔吐してしまった。
熱を測ると、39℃以上出ていた。
以降は当然、親戚がやっている内科医院に行った以外は外出せず、薬を飲んで寝ていたが、倦怠感や熱っぽさはなかなか収まってくれなかった。
これが治ることは、もう一生ないんじゃないか、と不安になるほどに。
翌年、私はインフルエンザの予防接種を受けた。
その年は中学受験が控えており、感染症のリスクは軽減しておきたいという両親たっての希望だった。私としても昨年のような辛い目にはもう遭いたくなかったし、断る理由はなかった。
以降、予防接種は毎年の習慣となった。
日本では、13才未満はインフルエンザの予防接種を原則2回接種することになっている。
上記の通り、私の接種の習慣が始まったのは小学6年生のときであり、だから私自身、すぐに自分も1回接種でよくなるのだとばかり思っていた。
しかしこれまた親の希望で、私は2回接種をしばらく続けることになった。
予防接種が嫌いになったのは、それが理由だった。
わざわざ2回接種の継続を希望した理由は「心配だから」だった。
曰く、身体が小さいから、万全を期して――。
医学的にどれだけ見て効果があったのかは定かでない。
ただ、当時の私はそれがとにかく嫌で仕方がなかった
予防接種も、先述した親戚がやっている内科医院で受けていた。その親戚は私含めた家族のかかりつけ医だった。
そこで働いている看護師や事務員とも、当然私は顔見知りだった。
私が小さいからいけないのだろうか。
同じクラスのガタイの大きなアイツなら、スラッと背の高かった小学校の同級生のあの娘なら、こんなことにはならないのだろうか。
注射台に腕を乗せながら、私は毎回こんなことを考えていた。
そんな「ならば」は考えても詮無いことだとは思いながらも、そうせずにはいられなかった。
注射自体は、好きでも嫌いでもなかった。
自分だけが――この歳にもなって――2回予防接種を受けなればならないことが、そしてその原因である自分の小ささが嫌だった。
自分が2回受けていることを、顔見知りの看護師たちに知られていることも同様に嫌だった。
だが、最も嫌だったのは、2回接種が両親とかかりつけ医の彼との間の了解事項になっていて、私にはどうしようもできなかったことだ。
彼としても「毒になることは滅多にないし、それで納得するなら」ぐらいの気持ちだったのかもしれない。
それでも、何もできずただ2回接種されるしかない非力さが、ひどく屈辱的だった。
あの頃の私は、予防接種が嫌いだった。
今となっては、そんなふうに接種回数を指図されることはない。
そのワクチンの打つべき回数を、ただ淡々と打ってもらえばいい。
とても気楽で、とてもスムーズで、スマートだと思う。
しかし、あの頃の嫌な気持ちは、今もどこか拭い切れない。
【今回の一曲】
トリプルファイヤー/有名な病気(2017年)
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