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どのように、どの程度に男らしくあるべきなのか

社会をわたっていくにあたって、男性はその男らしさ(マチズモ)をどのように、どれほど表現するべきなのだろうか。

そんなことについて、最近しばしば考える。

けれどもその答えは、いまだに出ていない。


そもそものきっかけは、私の職務内容の変化だった。

これまでは社内にて開発業務に従事することが多かったのだが、今年の1月から、急に客先に赴く機会が増えた。

またそれに伴い、男性の営業職社員と共に仕事をすることも増えた。


コロナウイルスがまだ国内に入ってくる前、社内で飲み会があった。

そこには、営業職の男性社員も参加していた。

私の所属する会社は、先進的な働き方改革事例企業を名乗っているが、実態としてはまだ旧式然とした風土――営業はよく飲んで、よく歩いて、よく稼げ、というような文化が残っている。

そんな会社だから、営業の口から「こいつ、あいつに似てない?」と、同僚の顔がとあるAV男優に似ているとして笑いを取るある種の「ジョーク」が出るのも、さして不思議な話ではなかった。

問題は、私がそのジョークに、うまく反応できなかったことだった。


その男優は、とても有名な男優だった。

また、それがときに「笑い」になることも頭では理解していた。

しかし、身体の反応として、私はそれにうまく笑えなかった。

「は? なに言ってるんだ、こいつは?」といった気持ちが、まず胸の内を支配した。

そんな私を尻目に、他の参加者はそのジョークに大笑いしていた。

すっかり上機嫌になったその社員は、飲み会の後、「おい、お前」と言いながら私と肩を組んできた。

そして歓楽街の方角を指差し、「"抜きたい"ならあっちだぞ」「「アッチ」の店はあっちってな」と駄洒落を言ってきた。

これにもうまく反応できずにいると、その社員は少々憮然として「なんだよ、お前」と言った。私は「すみません」と謝った。

するとその社員は、重くなった空気をなんとかしようと思ったのか、「御開帳!」と言いながらコートの前を開け、股間を前方に突き出す動作をした。

「お前もやれよ!」その社員は私に告げた。

「はあ……」そう困った声を出しながら、私は控えめにアウターの前を開け、少しだけ開いてみせた。

「それでいいんだよ」とその社員は言った。


これだけであれば、私が単に「つまらないと思ったジョークにうまく反応できない」というだけの話で終わるかもしれない。

つまり、男らしさとは関係のない話に思われるかもしれない。

しかし、エピソードはこれだけではない。だから私も悩んでいるのだ。


新型コロナウイルスの非常事態宣言が明けてしばらく経った頃――ちょうど「第二波」が来はじめていた頃のことだ。

その日、私たちは遠方の企業とWEB会議システムを使って、リモート会議を実施していた。

会議の中で、PMが「やっぱりリモートだとやりづらい部分もあるので、次回はこいつを出張で行かせますよ」と私の名前を口にした。

「え?」と私はその際、驚愕をそのまま声に出してしまった。

会議の雰囲気が、いきなり重くなった。

私は、「いえ、感染者が増えている状況下ですので、次回実施の日程のあたりに出張ができない状態になっているのではないか、と危惧しているのですが」と、「え?」という声の理由――言い訳と評す方もいるかもしれない――を述べた。

するとPMは、「いや、こいつビビってんすよ」と冗談っぽく言った。

そしてそれに対し、先方も「ハハハ」と笑うのだった。


これについては、その場の雰囲気を和ませようとしたPMの機転であると評することもできるだろう。

実際、私も最初はそうなのかと考えた。

しかし数日後、確認される新規感染者数が着実に増えている中で、実際のところどう思うかをPMに訊ねると「ビビってんのか?」とまた一笑に付されたのだった。


これらのエピソードが私に伝えるのは、私に対する「もっと男性らしくあれ」というメッセージに思われて仕方がない。

もっと性欲を丸出しにしろ。チンコついてんだろ。

もっと大胆になれ。ビビってんじゃねえよ。

そんなふうに、言われているように思われてならないのだ。

「ペニスついてます、舐めんなって顔しろよ。あ、舐めるっていうのはフェラチオって意味じゃなくてね」みたいな、くだらないギャグを挟めるようにならないとダメだ、というような――。


「同僚のなかで誰を抱きたいか」

そんな下卑た話がしたいわけではない。

仮にそんな話題が飲み会の俎上に乗っても、私は上述のAV男優のくだりと同様にうまく対応できないだろう。

実際、「あいつのことを抱きたいか」という具体名を伴う話題はやはり営業職の男性社員の口から出たことがあり、その際も非常に不快な思いをしたし、苦笑いするのが精いっぱいであった。

しかし、上述した2つのエピソードのあとでは、それにもうまく対応できるようでないと、この人間社会をわたっていけないのではないか、という観念が私を襲うのである。

社会との接点が増えるということはすなわち、そのように対処しなければならない人とも接する機会が増えるということだから――。


私が、男らしさについて考えるのはそんな理由からだ。

そして、先述の通り、いまだに答えは出ていない。

ただ言えるのは、私が最近このことについて悩んでいるということだけだ。

社会人男性として、私は果たしてやっていけるのだろうか。

社会人男性としてやっていくとは、そもそも果たして何なのだろうか。

そんなことばかりを、ぐるぐるとずっと考えている。


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