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資格試験がヤバい

いきなりで申し訳ないが、資格試験がヤバい。

何がヤバいか、というと、合格できそうにないということだ。

せっかく受けるのだから受かりたい。それなのに受からない、というのは、非常にマズい。ヤバい。


そもそもの原因は、端的に私の知識不足と勉強不足である。

だから誰かのせいにしたい、という話ではないのだが、兎角ヤバい。

この資格試験は比較的有名で、過去問などもインターネットの海を探せば転がっているのだが、解いてみたところ、得点率は57%。

ちなみに、合格基準は60%。

家で――もちろんカンニングなどはしていないが――リラックスして、これである。

もちろん、試験会場で緊張感をもって臨んだほうが、高い点数を望めるという「本番に強い」人もいるだろう。

かくいう私もじつはそのタイプなのだが、しかし鷹揚に構えてはいられない得点率である。


私を焦らせるのは、私の得点率を下げている原因が極めて「基礎的」なことだからだ。

いや、わかっていないのだから「基礎的」もなにもないのだが、しかし問題文を読むとなんとなく察せられるのだ。「あ、これ、この分野では当たり前のことを聞かれているサービス問題なのでは?」と――。

そして、そういう問題に登場する単語を知らないなどに陥ると、これはわりと真剣に凹む。

「え、センター試験ってやつ受けてみたいですけど、二次関数ってなんですか? え、グラフ曲がってるんですけど?」

みたいな恥ずかしさがある。

まあ、センター試験自体がもう存在しない試験か。

いや、そんな感傷はひとまずおいといて――。


兎角、「肌感覚」として試験がやばく、いつもは直近の私生活とかについて書くわけではない「エッセイ」――「日記」と銘打っていた記事には、今回の記事のようなことを書いていた――でも書かないといけないほどに、ヤバいなあ、と感じているのである。

ほかにも、あまりこういう「楽屋の話」をすべきではないのだろうが、ちょっと懐かしい話とかを、構成を考えて、文章にして――とか考えていられる場合でもなさそうなのである。

もう「ヤバい」とひたすら言うしかない。

「ヤバい詐欺」とか「ぶっている」と罵られてもよい。

それで受かるならべつにそれでよい。


どうしてそんなに合格に固執するか。

ひとまずは、お金の問題である。受験料を払っているのだから、落ちたらもったいない。前述の通り、せっかくならば受かりたい。

もう一つは、会社で「みなさん、資格試験にチャレンジして取得してください」と、これまた急に命が下ったからである。

であるからには、一労働者たる私は資格を取らざるを得ない。

そのためひとまず、直近の試験に邁進せねばならないのだ。

嗚呼、仕事、切実に辞めたい――。


しかし、そこでもまた資格の問題が顔を出す。

仕事を辞めたとて、私には他の収入の当てはない。

ということは、私はまたどこかで働かなければならない。つまり転職だ。

そして転職にも、資格がある方が有利なのは事実だ。

つまり、どちらに転ぼうが、この試験には受からなければならない理由があるのだ。サッカー日本代表も真っ青な、絶対に負けられない戦いなのだ。


だったらば――と、賢いあなたはきっと問うだろう。

だったらば、なぜもっと前もって、計画的に勉強しなかったの?

それだけは禁止カードにしたいような、クリティカルなことを――。


それが正論であることは百も承知である。

しかし、かつても資格試験を5日前から勉強した私の「先延ばし」グセが、今度もまた発揮されてしまったのだ。

むしろ、まだ残り日数が二桁あるだけマシということまでありうる。


さんざん先延ばしてきた過去の自分のことはもう睨みつけられないから、せめてもの抵抗として、分厚すぎるテキストとにらめっこする日々である。

先述の過去問から自身の苦手分野は分かっているのだが、いかんせん全体的に知識が抜け落ちていて、そこのみに集中することが怖い。

しかしこのペースでは、その分野にたどり着くのがもっと先になる。

危険地帯だから駆け抜けたいが、慎重に進まないと竹槍の敷き詰められた落とし穴に落ちて串刺しになる。

まるでゲリラ戦のジレンマ―無論、造語である――だ。


いつにもましてまとまりを欠いて散々書きなぐってきたが、今回の教訓は、次の二つにまとめられるだろう。

・何事も計画的に、早めから取り組んだほうがよい

・しかし、人はそう簡単に変われない

毎年、「ああ来年こそは」と後悔しながら臨んだ夏休みの宿題の記憶がふっと頭をよぎる。


しかしそういえば、高校2年のときだけは、自分にもできるはずだと嘯いて、毎日数問というペースで数学の宿題を片付けてみたのだった。

それこそ「ああ来年こそは」を実践に移してみたわけだ。

それは果たして、たしかに計画通りに進んだ!

しかし、その際に感じたのは「スリルがないな」とか「面白くないな」とかだった。

そんな「スリル」、味わう必要など一つもないのに――。


高校3年生のときは、受験生ということもあり、宿題は出されなかった。

任意の受験対策の補習授業や自教室での自習がその代わりだった。

もしも計画的に臨んでみた「翌年」である高校3年生の夏休みにも宿題が出ていたらば、私が結局、「前年」のように計画的にできる人間なのか、それは無理をしていただけで本当はできない人間なのか発覚しただろうが、それを知る機会は訪れなかった、というわけだ。


そんなわけで、長々と書いてきた記事も、普段とはちょっと異なる問いかけ形式で終わろうと思う。

読者諸賢におけれては、夏休みの宿題は計画的にするタイプだっただろうか? あるいは、始業日の直前になって慌ててやるタイプだっただろうか?

または、こうも問いかけられよう。

あなたは、資格試験などの勉強を計画的に進められるタイプだろうか? それとも、一夜漬けのように数日前からようやく根を詰めるタイプだろうか?

私はそれぞれ前者でありたかったが、残念ながら後者であるらしい。

前半に書きなぐった資格試験に関するエピソードや、「ああ来年こそは」という後悔の記憶がなによりもそれを饒舌に物語っている。

それに、あまりこういう「楽屋の話」をすべきではないのだろうが、数日おきに公開するこのnoteの記事の公開に関しても、ストックなんて微塵も用意できていないのだから――。


※試験勉強を後回しにするのは心臓に悪いが、これはとても目に悪いMV


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