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シェアサイクルしたら大変な目に遭った

通っていた大学は駅から遠かったので、在学生の多くはバスを使うか、自転車に乗るかだった。

私も、1年生の時分は自転車で通学する身だったが、いつの間にかバス通学の列に並ぶようになっていった。

予想外に道の起伏が多くて疲れたとか、駐輪場有りと紹介された物件にそんなものはなかったとか、理由は色々あった。

だがなによりもの決定打は、決定打は、大学の駐輪場に夏休みの間置いていたら、雨風に曝されて錆びてしまったことだった。

そんなわけで自転車とおさらばした私は、卒業後に会社の近くに引っ越した。自転車通勤は認められていなかった――特にしたくもなかったが――ため、私の生活から自転車の影はすっかり消えていた。


しかし数日前、喫茶店でiPadを触っていたとき、私は不意に、自転車に乗りたいと思った。

読んでいた本や、観た映画やCMに、自転車に乗るシーンがあったわけではなかった。

強いて言えば、原付きバイクに乗り、お尻が痛くなって思ったほど楽しめなかった話ぐらいだった。

それでもなぜか、今日乗るしかない、という気持ちになり、それは全く消えてくれそうになかった。村上春樹の小説でときどき登場人物が憑かれる衝動性みたいに。

私はその場で、東京都の各区でやっているシェアサイクルのサービスに登録した。


登録自体は簡単だった。

私が登録したのはdocomoの運営しているサービスだったが、dアカウントがなくともメールアドレスと電話番号(SMS)で登録できた。あとは、支払い用のクレジット情報――あの不祥事の後に不用心だと謗られるかもしれないが――を登録した。

これであとは、近くのスポットの自転車を予約し、乗り、また好きなスポットで返せば良い、ということだった。


どうせなら、ここから家まで帰ってやろう、と私は思った。

家の近くのコンビニに、スポットがあることを知っていたからだ。

Gooogle Mapsによると、いま自分がいる場所から家までは約6.5kmだった。

いける、と思った。

なんといっても自転車である。

風を切るのを感じながら気持ちよく走れる距離じゃないか、と。

雨雲レーダーによると、あと少しでこのあたりにも雨が降るみたいだが、きっとその前に帰れるはずだ、と。

オチから言ってしまえば、それは大いなる誤算であった。


私は自転車の予約をするなり喫茶店を出て、駅の反対側にあるスポットに行き、予約していたそれを見つけた。

送られてきた4桁のコードを入れて解錠した。

もう時刻は19時半を回っていて、あたりはもう真っ暗だった。安全のためにも灯火をする必要があったが、ここでライトの付け方が分からないという第一の関門に突き当たった。私が今まで乗ってきた自転車はいつも、明るさを感知してオートでライトが点灯するタイプだったから、どうにも勝手が分からなかったのだ。

ライトの付近を探すも、そんなスイッチみたいなものはない。

仕方無しに、くだんのシェアサイクルアプリのヘルプを見ると、左ハンドルのパネルについているボタンで点けられる、と書いてあった。

なるほど。電動アシスト付き自転車らしく、ハイテクなのだった。

しかしその割に、油が全然注されていないのか、ブレーキをかけるとけたたましく「キーッ」となるのが気になった。

ちなみにこのシェアサイクルは時間単位での課金制で、こうして機械音痴ぶりを発揮しているうちにも、料金は発生しているのだった。


こうしちゃいられない。

私は意気揚々と自電車を漕ぎ始めた。

しかしここで第二の問題に突き当たった。

いつも電車で帰るから、下道つまり自転車で帰れる道が分からないのだ。

「いける」

その蛮勇は何だったのか。

一本目の角を曲がる時点で、私はこの道で合っているのか不安でならなかった。しかし、スマホ片手に運転するわけにも、イヤフォンでナビを聴きながら運転するわけにもいかない。

あの建物があそこに見えるということは、こちらがあの方角だ――その程度の勘と、あとは道路標識のざっくりとした「XX 〇〇km」を頼りに走り続けた。


走り続けているうちに、私はまたもや違和感を覚えることとなった。

第三の問題。自転車で走っているのに、全然風を切れていないのだ。

私はこのとき生まれて初めて電動アシスト付きの自転車を漕いでいた。そしてそのアシスト機能の使い方が分かっていなかった。電動アシスト付きの自転車が、アシストなしだとこんなにも重いとは夢にも思っていなかった。


おかげで私は、どこに向かうとも分からぬ道を、ただ直感で、重いだけの自転車を漕ぎながら進む成人男性と化した。

横を、いわゆる「ママチャリ」で優雅に何人かが追い抜いていった。

一方で私は、前のめりになって、歯を食いしばって立ち漕ぎしていた。


もうこれはやめよう。

奇跡的に、乗り始めた場所から隣の駅にたどり着けたのでスポットを探したが、そのスポットがまったく見つからなかった。第四の問題だった。

地図は近くを指しているはずなのだが、どこにも見つからない。

仕方なしに移動すると、「現在地」を示す青い点がピンを遠く離れていく。

自転車を返却することすらままならぬまま10分近くを浪費し、私は家の近くのスポットに向けて走り始めた。


古川日出男に『LOVE』という小説がある。

その中で少年は、自転車に乗って都内を疾走する。

しかし、私が駆けるのは夜であり、また少年性は失われているのだった。

だか目黒の猫を数えたり、港区の「ウサ・猫戦争」に思いを馳せることはない。

ただ、帰りたかった。

しかし、足は重く、自転車は遅々として進まないのだった。

そのうち雨が振り始めた。雨脚は少しずつ強くなった。これが、五番目の問題だった。


「これはおかしい」と思わなかったわけではない。

そもそもパネルには「アシストオフ90%」と表示されている。ならば、10%はアシストがされているのではないか? それなのに、こんなにまったくアシストされていない気がするのはどうしてなのか?

それを無視していたのは、アシストに頼らないほうが筋肉に負荷がかかって良さそうだ、という筋肉信仰――普段とくに鍛えてもないくせに――ゆえだった。だが、さすがに足が悲鳴を上げ始めていた。

私は、住宅街の誰も通らないような道の端に自転車を止め――もちろんこの時間も料金は発生している――、先ほどと同様にアプリで自転車の使い方を調べた。

すると、パネルのボタンを長押すすると、アシストが効くと分かった。

そんな隠しコマンドみたいなのが分かるわけない、と思いつつも指示通りにしたら、たしかに驚くほど加速してくれるのだった。

私は、ようやく風を切れるようになった。


また、道路運――という言葉はあるのだろうか――も私に味方した。

見知った駅の名を含む道路標識を見つけ、指示通りに曲がったところ、私がいろいろ嫌になったときに歩いた道に出たのだった。

なるほど、深夜の散歩もこういうときに役立つのか。

そう思いながら、意気揚々とその道に沿ってペダルを漕いで進んだ。

暑くなって上着を脱いで晒された上腕に、雨粒が当たって冷たかった。

それを心地よく思うほどの余裕は、私には無かった。

家にたどり着ける展望はあった。

しかし、その感慨を覚えていられないほどに、私は疲れていた。


コンビニの前に自転車を止め、施錠して返却した。

利用時間はちょうど1時間。これで400円弱を取られた。

電車代だと200円弱だからかなり割高だった。

しかも喉がひどく乾いたので、そのコンビニに入るなり、100円で600mlの麦茶を買って、店の前で一気飲みしてしまった。

しめて500円ほど。

電車に乗るより、よほど高くついてしまった。


今回の話に、特に教訓めいたことなんざない。

ただ、私が衝動的に行動したわりに、機械音痴で、かつ天候にも恵まれなかっただけの話だ。

威勢のいいタイトルのわりに、おおよそ大半は私のせいだった。


私の父母は、NHKの地方版のニュースがいつも最後の数分に回され、全国版ニュースから始まることや、東京の災害――台風とか――をこそ強く報道することについて「東京中心だ!」とよく憤っていた。

その両親に育てられた私も、東京に対しては苦手意識を持って育った。

しかし私が初めて東京という都市に生きたいと思ったのは、前述の『LOVE』だった。

私は、東京を疾走できなかった。

夜に、必至の形相で、駆けていただけだった。


次こそは、昼に乗ろう、と思った。

比較的涼しい、でも雨が降らない日に。

ブレーキがうるさくない、シェアでないサイクルで。

そして小説みたいに、東京のあらゆるところに行くのだ。

幸い、今の家にはちゃんとした駐輪場がある。



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