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水の呼吸ってなんだよ

友人とLINEしていたところ、ひょんなことから『鬼滅の刃』の映画を観たという話題になった。

飛ぶ鳥を落とす勢いで観客が入っている、「無限列車編」である。

「アニメ見るほうだっけ?」と訊ねると、その友人は「うん」と応えた。


曰く、映画公開直前にフジテレビで深夜に放送されていたのを見てハマり、そのまま映画まで見に行ったとのことだった。

自分が、その時点でまだ2話までしか見ていないことを告げると、「じゃあ、まだだいぶ序盤だね」と言われた。

それは誠にその通りで、まだ「〇〇の呼吸」も、ツイッターなどでよく名を目にする主要キャラクターたちも未登場なのだった。鱗滝さんは、天狗のお面を付け「判断が遅い」だけ繰り返す頭のおかしい爺いだった。


私が『鬼滅の刃』ブームに完全に乗り損ねていたのは――まあ元々の天の邪鬼な性分もあってのことだが――初回放送時に流れたCMにビビってしまっていたからだった。

『鬼滅の刃』は、人食い鬼のいる「残酷」な世界を描く和風ファンタジーであり、そこにホラーテイストが混ぜ込まれるのも当然だった。

しかし私は、DVD/Blu-rayいわゆる「円盤」のCMで流れた、これからの話に含まれるであろうワンシーンをすこぶる怖がり、それで「1話切り」をしてしまったのだった。

それは、のちに4話で登場することを知ることになるのだが、主人公である竈門炭治郎が鬼殺隊の最終選別試験に向かった際に、その案内役を務めるキャラクターの喋りのシーンだった。

日本人形を思わせる出で立ちと、大きすぎる黒目、そして抑揚を排した喋り方に、私は「いや、怖すぎるやろ!」と怖気づいた。

(このとき、私は完全に彼女らを「敵」の一派だと考えていた)

まあ端的にいえば、私にとって「やさしくない」作品だった。


それでも視聴を進めようと決めたのは、本当にホラー一辺倒ならばここまで流行らないだろうと理性的に考えたことと、どうにもブームに乗り遅れていることが癪だというミーハー精神からだった。

友人の「映画まで見た」という発言も、ミーハー精神に火を付けていた。

私は意を決して、Netflixで3話の再生ボタンを押した。


3話は、いわゆる「修行回」だった。

この話で、ようやく「全集中の呼吸」というワードと私は出会った。

そして数々の修行の末に、鱗滝は炭治郎に、背丈よりも大きな岩を切れ、と告げた。この岩を切れなければ、最終選別に向かわせない、と彼は言った。

つまりこれは、炭治郎が「全集中の呼吸」をマスターし、岩を切る回なのだ、とおおよそのことを察することができた。

そして実際に、謎の人物である錆兎と真菰の闖入こそあれ、炭治郎は錆兎との居合に勝つと同時に、岩を切ることに成功するのだった。


「3話まで見たよ」と私は、くだんの友人に報告した。

友人は「そこから進むんだろうか……」と少し訝しんだような内容を送ってきたので、私は「全集中だ」と、クソみたいなLINEを返した。

そこから数日後――つまり、友人の懸念はたしかに一部当たっていたわけだが――私は4話以降を見ることにした。


4話そして5話は、最終選別に関する回だった。

上述の通り、日本人形風の案内役もこの4, 5話にて登場した。

そのシーンはやはり得意ではなかったが、敵としてずっと登場するのではなく案内役であると知ってからは、もうあまり怖くはなかった。

「いける、見れるぞ! さあ、最終選別はどんな試験で、炭治郎はこれをどう切り抜けるのかな!」

期待に胸が高鳴っていた。


試験の内容はこうだ。

今から、人食い鬼を放ったエリアに皆で入ってもらう。7日間生き延びることができたら合格。そうでなければ、不合格すなわち死である。

まあ、シンプルと言えばシンプルな内容だった。


試験は夜にスタートした。

人食い鬼は夜にしか活動できないから、炭治郎はできるだけ鬼と出くわさないようにしつつ、昼間は休んで体力を回復しようと独り言つ。

しかし、そう意を決した際のお約束がごとく、炭治郎は早速2匹の鬼と遭遇してしまう。

鬼たちは「俺の獲物だ」と喧嘩をしつつも、「早い者勝ちだ」と、炭治郎に息巻いて襲いかかってくる。

炭治郎は、「大丈夫だ。落ち着いて動きを見ろ。修行のときを思い出せ!」と自らに言い聞かせる。

そして問題のセリフ、「全集中・水の呼吸!」が出てくる。


そう。「全集中・水の呼吸」これが問題なのだ。

「全集中の呼吸」はまだ分かる。集中したらなんかこうすごい感じになって、パワーが倍増! みたいな理屈――少年漫画の理屈としては分かりやすい。それに「呼吸」に関しては『ジョジョ』の「波紋法」の先例もある。

しかし、「水の呼吸」である。

これについては、私の記憶が正しければ、この時点でノー説明だったのだ。


「全集中の呼吸」で、相手と自分の間に糸が見えて切れる――これは、錆兎との対決の中で説明があった。

だが、「水の呼吸」は説明がなかったし、ましてや「肆ノ型打ち潮」なる「型」があり、刀から水が出るのはこの場面が初見なのだ。

いや、刀から水が出ることを揶揄したいわけではない。なんといっても、刀からなにか出るとかっこいいし、ただ切るだけよりも画として映える。漫画・アニメ的な表現として、何ら不思議ではない。

ただ、ちょっと説明してほしかっただけなのだ。

「型」ってなんですか。「打ち潮」ってなんですか。

しかし、こちらの思惑を知らない炭治郎は、「弐ノ型水車」「壱ノ型水面斬り」を繰り出す。

鱗滝も、回想シーンで「特殊な刀で首を切るしか鬼は倒せん」と告げるのみで、このあたりの解説は一切してくれなかった。

なんにも視聴者にやさしくねえな、あの爺い。


現在、私は『鬼滅の刃』を5話まで見終わっている。

しかし、依然として「水の呼吸」の説明はなしだ。

いったい「水の呼吸」とはなんなのだろうか。

「水車」とは。「水面斬り」とは――。

そして、やはり私は独りごちるのだった。

『鬼滅の刃』は、やっぱりどうも、やさしくないぞ、と。

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