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社長がツイッターを始めた

社長がツイッターを始めた。

実名で、アイコンも社員証につけるようなキチッとした顔写真で。

このことは、社内の掲示板で大々的に報じられた。


何を今更ツイッターなんか――そう思っていると、今度は同掲示板で、「簡単! ツイッターアカウントの作り方」という記事が公開された。

内容はタイトル通り、アカウントの作り方を懇切丁寧に伝えるものだった。

それを見て、私はまた何を今更ツイッターなんか――と思った。

だが、兎角会社が、社員にツイッターをやらせたがっていることだけは分かった。

そして、ツイッターをやるからには社長をフォローしろよ、という無言のメッセージがそこに込められていることも――。


ある日、社長による社員へのメッセージ配信があった。それは、私の勤める会社ではおおよそ四半期に一度ある恒例のものだった。

そこで社長は「うちの社員数を考えたら、もっとフォロワーが増えてくれてもいいはずなんだけど……」と言った。

やはりフォローしろよということじゃないか、と思っていると、社長は続いて「なんでこうツイッターと言っているのかというと」と、その「思い」を語り始めた。


曰く、会社の魅力を作るのは事業や業績もそうだけど何よりそこで働いている「人」である、と。

だから、ツイッターを通じてみなの人柄や会社の雰囲気を伝えることは、すなわち会社のブランディングにつながるのだ、と。

そしてよく名前を見かけることが、何より好感度アップに繋がりうる、と。

まさか、私の働く会社特有の「数年前に流行ったものを最新だと思っている」病の一種だと思っていたツイッター大合唱に、そんな壮大で、気が遠くなるような計画があるとは思っていなかった。

私はその話を聞きながら、驚嘆したり呆れたりしていた。


さて、話はそこから少しだけ日にちが経った頃に移る。

私は、そこまで語る社長のツイッターとはどんなものか、と覗きに行ってみた。アカウントは、実名だからすぐに見つかった。

私はツイートもそこそこに、増えてくれないと不満を漏らしていたフォロワーの欄を見に行った。

そこには、実名もしくは極めて特定しやすい――社内のチャットツールとアイコンが同じなど――社員のアカウントが溢れかえっていた。

みんな真面目だな。自分だったら絶対にフォローしない――現にしていない――のに、と私はいたく感心した。


しかし、それと同時に、こんな恐怖も抱いた。

互いに特定しやすいということは、そのうち自然と社員同士で繋がってくるということだ。

それはすなわち、社員同士の会話に「ツイッター」が浸透してくることを表している。

いずれ「ツイッターやってないの? フォローさせてよ」なんてことを、面と向かって言われても不思議ではない。

しかし、私のアカウントは、社長の言う「ブランディング」とやらには決して繋がり得ないだろう。社名を伏せているからという理由もあるが、何よりこんなツイートが良い印象を会社にもたらしうるとは到底思えない。


そんなわけで、最近は徐々に忍び寄りつつあるんじゃないか、と邪推している「フォローさせてよ」の声にビクビクしている。

あるいは、私も実名ないしそれに近しいアカウントを開設したほうが良いのだろうか。

そして、ちらっと眺めた、くだんの社員のアカウントのように、きわめて明るいツイートを心がけるのだ。

庭の植物が紅葉してきた! とか、毎日が勉強! とか――。

しかし、今から既に、そんなことを始めても一瞬で飽きるような予感しかしない。


きっと私は、同僚にフォローされつつも、不意に社会性のないことをツイートするに違いない。

「仕事、やってられっかよお!」とか、「めっちゃうんこ臭かった」とか。

そういう「品格」を疑われそうなことを――。

もしくは何も呟けず沈黙を貫くか――。

まあ、何についても向き不向きといいうものはあるのだ。

それはきっと、ツイートの方向性というやつにも。


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