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文学フリマに行った

去る11/11(土)に、文学フリマ東京37に出かけた。

本来は13:00から都区部東部で演劇の稽古があり、間に合わなかったのだが、今回キャストではないということで、稽古に遅れていく形で顔を出した。

何人か顔を合わせたいな、と思っている方がいたが、私のスマートフォンの電波が使い物にならなかったこともあり連絡を取れず、ちょうどいない時間帯での訪問となったのは悔しい限りだ。

(ahamo、森七菜がCMに出ていること以外に継続する理由なさすぎる)


私が文学フリマで買った本は、以下に引用するツイートの通りだ。

ただ、買ったは良いものの、どれも興味を持って買ったものの、正直に白状すれば、まだ全然読めていない。

だから、ここで書籍の感想を述べることはできない。


文学フリマも、人がすごく多くなった。

ブース数も増えたし、来場者数も増えた。

次回からは入場も有料になるという。

それにより客の入りがどうなるのかは、今のところ分からない。

だが今回も、今のペースの増加が続くなら、ちょっと足を運ぶのは躊躇するようになってしまうな、という混雑具合だったのは変わらない。

それは来場者数というファクトからも言えるし、現地に行った私の感想でもある。


そう思っているのに、どうしてだか、文学フリマに行くと、自分でも同人誌を作りたくなる。

この人混みを前に、大変なレジ業務に追われるか、みなが私の前をただ何も興味なさげに通過するか。

十中八九後者で、きっと心が折れるんだろうけど、それでも、出店者側で参加したくなる。

そのような魅力が、「即売会」にはあるな、と改めて感じた。

ああ、同人誌作りたい! そう思った。


だが、だからと言って即座の参加申し込みは禁物である。

というのも「同人誌作りたい!」は「彼女欲しい!」と同じだからだ。

共通点は、ファジーな対象への羨望が先んじていて、具体的な対象を伴っていないことだ。


「彼女が欲しい」と思うだけでは、彼女はできない。

無論、その動機から行動することはあるだろう。

出会いを求めたり、誰かをご飯に誘ったり。

しかし、誰かと恋をするとき、そこには具体的な「誰か」がいる。

思いは、抽象的なレベルから、具体的なレベルに変化している。

同人誌/ZINEも同じである。

どのような同人誌を作るのか。

その具体的なビジョンなしには、本は完成してくれない。


私はいつもそこで迷ってしまう。

どのような本を作るのか。

テーマは何にするか。

書き手は自分のみにするか、複数人に寄稿してもらうか。

どのぐらいのページ数にするか。

そのような「個別具体的」なことになると、私の衝動は止んでしまう。

どうしよう? という悩みが先んじ、そこで足を止めてしまう。

だから私は、自分を主宰として同人誌を完成させたことがない。


べつに、作ろうと思えば、なんとでもなるのだと思う。

以前やった演劇の脚本を集めてもいい。

noteのエッセイを集めて、複数本書き下ろしを追加するのでもいい。

それでもできないのは、やるなら新しいものを出したいから。

そのテーマで自分が書くものをみてみたいから。

でも、そのテーマが思いつかないから。

そして、誰かが書く文章を読んでみたくても、誰かを誘う勇気がないから。

なんとも悲しい話である。


悲しい話で終わらせないために、いずれどこかで同人誌を完成させたい。

この前、後輩に呼び出されて——というと人聞きが悪いが——飲んだ際に、夢を聞かれて「本を出したい」と言ってしまった。

その言葉に嘘はないし、その際の本とは商業出版をイメージしていたのだが、どうせなら同人出版でも、その言葉を本当にしてみたい気持ちもある。


しかし、果たしてテーマがなあ。

そうやって、私は今日も逡巡する。

演劇の制作をやる際に、ITを取り入れてDXしようとした結果、策に溺れていった——現在進行形で溺れようとしている——話とか、需要ありますかね?


12/2(土)〜12/3(日)に、南阿佐ヶ谷で芝居をします。
私は、脚本と、制作を担当しております。
もしお時間許すようでしたらば、足をお運びいただけると嬉しいです。


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