[ザ・バットマン】「復讐から見える景色」
・DCコミック最新映画『ザ・バットマン』を鑑賞して参りました!
・いやー滅茶苦茶良かった。3時間尺である必要性がしっかりと感じられる本当に素晴らしい構成で、よく練られた脚本だと思います。
・3時間尺の映画という物は「長すぎてシナリオのテンポが悪くなる 」もしくは「長い割にはテンポが良すぎで作品の魅力を語り尽くせていない」という状況になりがちであると個人的に考えていますが、これはそこのバランスが非常に良い。物語のテンポも完璧だし、DCの世界観ひいてはバットマンというキャラクターを取り巻く世界観の魅力が歴代映画で1位の秀逸さと言っていいでしょう。
・ブルース・ウェインがバットマンとして活動を始めて2年目という舞台に目をつけたのが天才的だ。私個人が大きく印象を受けたのは従来の作品とは違い「クライマックスまでヒーローもヴィランも存在しない」と感じた所だ。
※以下ネタバレ注意
・この映画で主題として描かれているのは「復讐」だ。
・バットマンは両親を悪党に殺された事から、暴力と恐怖の象徴と化して悪をボコボコに叩きのめす自警団であります。そしてここで重要なのは彼はあくまでも個人的な復讐鬼であり、一般人に優しく手を差し伸べるヒーローでもありません。
・一方でリドラーは孤児として不幸な生い立ちを歩み、自分達を救ってくれない嘘つきだらけの慈善家や汚職に塗れた政治家や警官に対して復讐をしたい存在。彼は多くの一般人を巻き込む行為に何も後悔はしないサイコパスではありますが、彼なりの大義と大いなる目標を信じる人間であり、単純にヴィランと呼ぶには難しい人物です。
・そして映画内で描かれるドラマを経て、クライマックスでバットマンは初めてヒーローと呼べる存在へ変貌します。彼は個人的な復讐だけでは本質的に悪を成敗する事が出来ないと気付くのです。ここで初めてバットマンは一般人に手を差し伸べる救世主つまりはヒーローとして成長出来たのです。
・そしてリドラーは計画の失敗を悔やみ、自分と同じ様に復讐に囚われていたバットマンだけが世間に認められるヒーローと化した事をアーカム精神病院内で嘆きます。そこで彼に声をかける囚人が1人、恐らくジョーカーです。リドラーに対してジョーカーはカムバックしてバットマンへ復讐してやろうと唆します。ここで初めてリドラーは大いなる大義を持つ虐げられた者達の代弁者から個人的な憎悪に燃える悪つまりはヴィランへと堕ちる事が出来たのです。
・私がこの作品を観て強く感じたのは、この様な対比構造のお互いの成長ストーリーでした。そして映像面、アクション面も文句のつけようが無い素晴らしさであったのは言うまでも無い。ザック・スナイダー監督も試みていたDCのダークな部分の映像化をマット・リーブス監督はこれまた巧みに表現していた。バットマンというキャラクターの狂気性を全力で我々観客に見せつける手腕により、これこれこういうのが見たかったんだよとしみじみさせられた。
・続編を匂わせる雰囲気もありましたが、続編があってもなくても良い意味でどちらでも良いのが正直な本音です。単純に一つの作品としての読後感の心地良さから、その様な考えが些末な事柄に思えてしまうので…
・DC映画シリーズはMCUとは対局に作品群の繋がりを特別意識せずに制作していくという事は公式から発表されています。「ジョーカー」や「ザ・スーサイド・スクワッド」等の他作品から考えてもその選択肢は間違いなく英断だと思います。映画シリーズを一つのユニバースに縛らず、それぞれの世界観を独立させた上で続編に着手するのは元来のアメコミに立ち返るようでよい試みだと思います。願わくば制作が中止された『デスストローク』がこれを機会に復活してくれないかなと期待したり。
・総評としては非常に満足度の高い映画でした。ノワール感溢れるサスペンス映画でありながらも、真のヒーローが産声を上げる成長ドラマでもある本作。ロバート・パティンソン演じる不安定な若さと怒りに満ちたバットマン、青さ故のドス黒い煌めきと狂気が今なら劇場で思う存分楽しめますよ。
終
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