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緩く生きること、命を生み出さないこと

22歳になってから2週間が経つそうです。

大学は来週卒業予定者が発表されて、再来週には卒業式があるみたいです。単位の取りこぼしはないはずなので卒業はできると思いますが、やはり正式な発表がないと不安は尽きないものです。まあ、卒業式には行かないつもりなのですが、卒業式が目前に迫っているというだけで人生の節目にいるんだなと実感します。

さて、大学を卒業した人の多くは新卒として社会人になるのが、この世で肯定されている生き方のようです。

しかし、僕は上手くシュウカツに取り組むことが出来なかったのでしばらく緩く生きていくつもりです。やりたいことはあるにはあるのですが(また今度書きます)、とりあえず実家に戻ってバイトをしながら生活していく予定です。

4年間住んでいた場所で暮らし続けても良かったのですが(交通の便利さとか発展具合や都会へのアクセスの良さは地元以上)、今しているバイトを4月からも続けられるのか分からない状態で、生きるのに必要なお金を稼ぐためのバイトを掛け持ちするとしても今から探して慣れるまでには時間もストレスもかかるなと思いまして。自分のやりたいことはどこにいても出来るのですが、結果としては実家に戻ることになりました。

それで、昨日と一昨日に親が来て話をしたんですが、「私たちも緩く生きたい」と言われました。でも、「生活があるから働く」と言っていました。

その割には子どもを早くから、しかも3人も産んでいるのに、というかそれは自分で選んできたことのはずなのに、親の言葉を聞いていると僕という存在が足枷となっているから緩く生きれないのではないかと思ってしまいました。

確かに大学を卒業してバイト暮らしをしようとしてますし、足枷になってしまってはいるんだと思います。それならなぜ僕をこの世に産み落としたのか、それが分かりません。

姉2人に留めておけば40代半ばからは自由に緩く(社会人として働いて子どもを育てている立派な娘を誇りに思いながら)生きていけたはずなのに、というかそもそも子どもを産まなければ身を粉にして働かなくても良かったし、それこそ緩く生きれたはずです。

それを自分の産み落とした命を前にして、緩く生きたいなどと言われても、緩く生きたい願望を叶える障壁になってしまってごめんなさいと思うしかありません。

なので僕は緩く生きるためにも、命を産み出してしまわないようにしなければならないと思いました。

いえ、そもそも命を産み出す行為に及ぶことすら出来ない弱者なので関係ない話ではあるのですが、それでも普段から命に対してその重みを意識していないといけないような気がします。少子化の阻止には貢献できませんが、むやみに命を産み出さないことでこの世で生きることの無い1人の人間を救うことには貢献できます。

ひとつの命として生きるからこそ命を軽々しく作りたくはなく、緩く生きるために、また産み出した命に対して緩く生きれなかったと言わないためにも、命を生み出さないという意識は常に持っておきたいものです。

ですが、産まれてくる命に対しては最大限の慈しみと優しさとで接していこうと思います。僕に出来ることはそれくらいだと思うので。

読んでくれてありがとうございます。