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私が言語聴覚士を目指し、そして辞めた今。(1)

 私は、去年の秋までリハビリの仕事をしていた。いわゆる言語障害といって、口がうまく動かずにうまく話せない方、口の動きは問題ないし頭でも言葉は思い浮かんでいるのに、いざ話そうとすると言葉が出てこない失語症という方などその症状は多様で、これに認知症が加わる場合もあり対象者の症状は実際にはかなり複雑だった。

 私がなぜ、言葉のリハビリ/コミュニケーションのリハビリをする【言語聴覚士】になったのか。その理由は、「人と笑い合えないのが、人生で1番辛いだろうな」そう思ったからだ。

 販売員をしている時に、「人の役に立つ仕事がしたい」「看護という立場ではなくもっと生活に密着しているリハビリの仕事がしたい」と思い仕事をしながら予備校に通い、また学校見学、学校説明会に参加しイメージを膨らませた。

 当時の私は、リハビリといえばテレビドラマで見るような[歩く練習]をするといった漠然としたイメージしかなかった。実際に学校見学へ行くと、理学療法士のほかに作業療法士といった別の職種の存在を知った。さらに、自分は[立つ・歩く・座る・寝る]など大きな動きよりも[服を着る・ボタンを留める・箸を持つ・字を書く]などの小さい動きにより興味を持っていることを知った。

 具体的な職種を決めかねている中、実際にリハビリを行なっている現場を見せてもらってイメージを膨らませようと、ただの販売員が病院へ直接電話し見学のアポを取り、ほぼ知識ゼロの私が臨床現場を見学して回るということをさせてもらった。4つ目の病院を見学させてもらった際に、私は出会った。

 絵カードを机に広げ、セラピストが「コップはどれですか」と問うと患者は悩みながら指を指す。次に一枚ずつカードを見せられ「これは何ですか」と問われ患者が「リンゴ」と答える。私はこのリハビリを見て、ただただ止まらない好奇心を感じていた。

 そして、セラピストに先程のリハビリの目的は何かを質問しコミュニケーションのリハビリであったということを知り、と同時に言語聴覚士という存在を知った。帰宅後、言語聴覚士についてやどのようなリハビリを行うのかを調べた。

 そして私は、「人の役に立つ仕事がしたいのは確かだ。歩けない人のサポート…やってみたい。箸を操作することをもう一度獲得しようとする人のサポート…やってみたい。話せない人のサポート…やってみたい」と想いは募るばかり。そこで私は、想像してみた。

 当時、大人になって初めてできて友人がいた。部屋をシェアして暮らしていた彼女とは毎日楽しく、腹を抱えて笑い、気がついたらキッチンまで転がっていたこともあった。キムタクと常盤貴子のドラマをみて感動し、涙と鼻をかんだ山盛りのティッシュを捨てにリビングへ行くと、同じように山盛りのティッシュを真っ赤な目をしながらゴミ箱へ捨てている彼女がいて、自分たちの様子がおかしくて「フフ」っと笑った瞬間、彼女の鼻からまた鼻水が出て2人で大笑いしたこともあった。妹さんが泊まりに来た時は、寝る部屋がないためキッチンに布団を敷いて寝てもらった。その時2人で肩を寄せ合って少女漫画を読み「なになに?どこ?」「ここだよ(笑)」とケラケラ笑い合い、「アイス食べる?」とすぐ目の前の冷蔵庫からアイスを1本とり「おい、自分の分だけかよ(笑)」とまたどうでもいいやり取りで笑っている姿に、私は自分の姉を思い出し「家族ってこんな風に笑うんだっけ?私、笑い合ったのはいつだろう。」と大切なことを気づかせてもらったこともあった。仕事を辞めてリハビリの仕事をしたい、そのために地元へ帰り学校へ通いたいと打ち明けた時は、大粒の涙をダバダバ流しながら「応援する」と言ってくれた。

 そんな彼女に、もし私が体に障害を負い歩いて会いに来れなくなったら、食事を一緒に摂れなくなったら、話せなくなったらと想像したのだ。私の答えはこうだった。

「歩けなくなったら、車椅子かベッドごと運んでもらう」
「食事を一緒に摂れなくなったら、食べさせてもらおう」
「話せなくなったら…一緒に笑えなくなったら …それは嫌だ。辛くて辛くて会いに来るのも辞めてしまうかもしれない」

 そう、私という人生の中で、人と話すことや人と笑うことが最も大切なことで、人と心を通わせることができなくなるのが私にとって非常に辛いということを改めて感じた。そして私は、「もし自分だったら」という視点でリハビリの職種を言語聴覚士に決めた。

 いよいよ臨床現場に出た私だったが、楽しくリハビリをする日・充実感に溢れてリハビリを終える日など一つもなかった。


(2)へ続く…