見出し画像

私が言語聴覚士を目指し、そして辞めた今。(7)

 私は、1日に何度かお母様の部屋へ足を運んだ。美空ひばりの曲が流れる中で口腔ケアを行い、脱脂綿に含ませた水分で口を潤わせるということをさせて頂いた。この数週間の間、何度お母様の名前を呼んだことか…。

「〇〇さん、今日もよろしくお願いしますね」「〇〇さん、さっき娘さん来てたの気付いてましたか?」「〇〇さん、はい!ゴックンしますよー!」「〇〇さん、今日もバッチリでした」「〇〇さん…」「〇〇さん…」

 こうやって、患者の名前を繰り返し呼ぶことは私に限ったことではなく、医療や福祉場面では多くの人がそうだと思う。相手が高齢であれば難聴にもなる、となれば普段よりも大きな声で人の名前を何度も呼ぶ。私も、何度もお母様の名前を呼び、どうにか脳に届け、心に届けと声を掛けていた。『看取りケア』になってからも同じく、名前を呼び歌を歌い、手拍子もしていろいろな刺激を加えながら時間を共にさせてもらった。

 昼食時、フロアで食事にリスクがある患者へ食事介助を行なっていると、上司がわざわざ私のところまで来てこう言った。

「仕事中ごめんね。今、母親の点滴、止めたの。だから、あとは…待つだけ」

と、目には涙を浮かべて、弱々しく教えてくれた。私は、黙って、大きく大きくうなづく事を繰り返すだけだった。

 その時から上司は、休憩時間も仕事を終えてからもお母様の側で過ごされた。吐血が続き、部屋はナースステーションの横へ移動となった。朝早くから、夜遅くまで付き添っていたらしく、「目が離せなくて」と言っていた。私も、口腔ケアを行うタイミングを誰も部屋へ行けない時間に意図的に組んで、できるだけお母様が1人になる時間が少なくなるように努めた。そして、訪室時にお母様の息を確認するたびに胸を撫で下ろしていた。仕事中に泣くことなんてまずない上司が、時折、鼻をすすっていることもあり、それを「プライベートと仕事、ごちゃごちゃにして」という人もいたが、私は、寄り添うことだけ、それをし続けた。

 私は馬鹿なのかもしれない。それでも、心のどこかで奇跡を信じ、「ほら見たことか」とまた両手を上げてリハビリを再開する日が来るのではないかと願った。毎朝、出勤するたびに[急変者リスト]などを確認するのは、通常どおりだが、そこにはいつもより高い緊張感がついて来た。

 そして、その緊張感が良くも悪くも解けてしまう日が来た。お母様が息を引き取られた。娘である上司が見守る中、静かに…。

 それは目を真っ赤にしたスタッフから、「上司があなたにお母さんの部屋に来て欲しいって言ってる」と告げられ、そのことを知った。私は、椅子をガタガタ言わせて立ち上がり、階段を駆け上がった。


(8)へ続く…