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私が言語聴覚士を目指し、そして辞めた今。(2)

 いよいよ、言語聴覚士の資格を得て臨床現場へ出た私だったが、人が伝えたいと思いながらも伝えられない苦悩や諦めてしまう姿に、自分の技術や知識のなさ、人間力のなさに打ちのめされた。常に「私じゃない誰かがリハビリをすれば、この人は笑顔になったのではないか」「私じゃない誰かがリハビリをすれば、この人は伝えることを諦めなかったんではないか」という思いが私の心を占領した。

 けれど、よく考えた。そもそも、簡単に行くわけがない。私は甘く見ていた。人がどれほど「今までの自分」に戻りたいと願っている気持ちが強いのか、普段の生活が送れないという非日常的な環境に放り投げられた孤独や恐怖、絶望がどれほどのものか、そして、共に生きてきた家族の回復への想いも強いということを。これほどまでに、強い想いや願い、大きな責任が伴うとは教科書の中で知っただけで、どこか他人事のように捉えていたのだ。

 そして私は、「やっていくしかない。続けていくしかない。それこそ経験を積むしかないんだ」と覚悟のようなものに似た決意をして、臨床の現場に立ち続けた。何度も挫けそうになったが、そのたびに言語聴覚士を選択したあの時の気持ちを思い出し、「大切な人と話せない、笑えない、そんな世界に居る人がリハビリを諦めたくなったり投げ出したくなったりするのは、あって当然だ。私にできること、それを探して、そして1回でも良いから笑顔になってもらおう」と自分の背中を押した。

 コミュニケーションという数値化できない、目に見えにくい部分のリハビリをどうやってモチベーションを保ってもらいながら、かつ障害受容のサポートもしながら継続していくか、実際の機能回復と同等に大切であり、それはとても難しいものだった。

 何年か経った頃、その時はきた。ある1人の患者とのリハビリの中で、なんだか普段と様子が違う。リハビリはひとまず横に置き…、一つ一つ質問を繰り返した。患者は失語症であったため[はい/いいえ]で答えられる質問が有効だったが、答えを誘導してしまうのではなく、本人の気持ちが答えとなるよう丁寧に丁寧に短く分かりやすい質問を繰り返した。確認作業も繰り返し患者の気持ちを汲み取り、集めていった。すると、患者は泣き出した。

 患者は、家族に虐待を受けていることを教えてくれた。今まで、私は薄々だがそう感じることがあり、リハビリの回数を増やし家から出る機会を多く設けることを提案していた。患者は費用のことを気にしていたが、ケアマネージャーに確認しあと何回増やすことができるかまで確認済みだと伝えても、いつもいつも首を横に振り[N  o]を主張していた。それがこの時は、[帰りたくない]に何度も頷き、[施設に泊まる]に対しても声を出しながら頷いた。結果、多職種の人間が動き緊急処置として施設に入所することができた。

 この時、この患者を知っている人は「話せないのに、何でそんなことがわかったのか」「家に帰りたくないなんていう人じゃないのに…」など、私が誘導尋問したかのように疑う人もいたが、私はそう言った意見に対し怒りも反発もなく、ただ患者を守ることができた充実感でいっぱいだった。

 そして、やっと【言語聴覚士】として「人の思いを汲み取り伝える」ことができたことがとても誇らしく、ただただ1人の人間として嬉しかった。

 この出来事がスイッチとなり、少しずつ私のリハビリに対する考え方や姿勢が変わり始めた。それは、学会で研究発表されるような[データに基づいた機能回復訓練]からは距離を置き、「リハビリの時間を楽しんでもらうにはどうしたらよいか」「リハビリの時間を通して感じた楽しみを、家に帰ってから家族と感じてもらうにはどうしたら良いか」「本当はこんなことができる能力があるのに、諦めている家族や先入観で見てしまっている他職員にどうやって知ってもらうか」などに重きを置くようになった。

 その結果、「ぬるいリハビリ」「そんな事より機能を回復させた方がよっぽど本人が嬉しいはずだ」「ただ喋ってるだけ」「自己満足じゃん」と思われることがあった…ということは容易に想像できた。


 (3)へ続く…