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私が言語聴覚士を目指し、そして辞めた今。(8)

  部屋へ入ると、泣き崩れている上司と静かに眠っているお母様がいた。上司のそばまで行くと、

「ビール、持ってきてもらってもいい?」

と言われた。私は、急いで冷蔵庫にしまって置いた小さいビールの缶を取りに行った。部屋に戻ると上司に

「飲ませてもらっていい?やっぱり一口目は私じゃなくて、あなたに飲ませて欲しいから。」

と言われた。私は、誰よりも冷静に、誰よりも患者を信じてそれまでやって来た。周囲が目を潤ませることがあっても「泣くのはまだ早い。まだまだだ。」と自分に言ってやって来た。けれど、涙が次から次へと流れ出した。私は泣きながら、リハビリの時と同じようにお母様へのお声掛けから始めて、脱脂綿に含ませたビールをリハビリの時と同じように口元へ運んだ。唇へ触れる私の手は、震え、こみ上げる涙は止まらなかった。

「本当にありがとう。母のためにいろんなことをやってくれた、あなたにリハビリをお願いして本当に良かった。母も喜んでいると思う。本当にありがとう、感謝の気持ちでいっぱいです。」

そう涙でクシャクシャの顔で上司に言われた。私は、お母様の耳元でこう伝えた。

「〇〇さん、私のところに来てくれてありがとう。チャンスをたくさんくれてありがとう。たくさんのことを気付かせてくれてありがとう。」

と。


 上司の家族だから特別扱いはしない。知っている人だからこそ、冷静に。不要な不安や期待を抱かせないように通常どおり。患者がもし話せるのなら、なんて私に教えてくれるか。何を望んでいるか。家族の想いを満たすのに、私ができることはあるか。患者、家族に寄り添いたい。誰よりも信じ続けたい。

 そんな想いで関わらせてもらった。けれど、思い入れの深さはやはり、深く、患者の死は悲しかった。この気持ちをどんな風に受けてめていくか、空を見上げて帰宅した。すると、神様のいたずらか…この日から3日間、子どもが高熱を出し病院受診から深夜の看病に追われ、お母様の死について考える時間がほとんどなかった。数日後、子どもが園に通うことができ私も出勤した際に、「そうだ、〇〇さん、居ないんだ」と思い出したのだった。

 職場には、お母様のお通夜から葬儀、家の荷物の整理にと忙しい上司はおらず、お母様が使用されていた部屋には別の方が入っていた。何も変わらない、普段の人の動き、業務の流れ、私も普段どおりのリハビリをこなしていった。

 私は上司のことがになって仕方がなかった。誰も、上司のことやお母様のことを話題にしない中、私だけが別の患者をお母様の名前で呼んでしまうなど、時間が止まっている感じがした…。


(9)へ続く…