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デミ・ムーアのサバイバル "Inside Out"

15歳差婚の実際を知りたく手にとる。
ある20代の友人が別の州に住む年上、弁護士、2人の母親でもある女性に恋をしており、しょっちゅう「返事がない、ねえ、どういう気持ちなんだと思う?」とべそをかいている。
私としても、若い側はよくても、年上のほうがわりと辛いんではないか?と思うところがあり、ぜひ超人デミの話を聞きたかった。

結果。母親とアシュトン・カッチャー(の敬意のかけらもない妻の捨て方)がクズすぎて憤死。

両親には無視され、交渉の道具に使われ、ついには「500ドルで売られ」、あの澄んだ瞳を保ったデミに感服。
彼女はゆるして、ゆるしてここまできたんだ。なんと強い人だろう。

今更ながら『嫌われる勇気』を読んだ後だったので、デミのひたすら How did I get there? と問いかける内省に出会って、そりゃ彼女みたいな波乱万丈な子ども時代を過ごした人がアドラー翁をはじめとするあらゆるスピリチュアルリーダーが示すとおり「いまを生きる」のは相当厳しいよなあ、と思わざるを得なかった。

幼少期から家を出るまでの流浪人生、3度の男性との出会いと結婚生活だけでなく(ブルース・ウィリスが一番全うなパートナーとして書かれている)、フィルモグラフィの詳述も面白かった。
どう選ばれて、どんな努力をしたかということですね。
少なくともここに取り上げられている作品だけ見れば、評判悪かった映画は現場の雰囲気も悪かったんだなということが分かる。

彼女が製作にも携わった出来損ないのスタンド・バイ・ミー女の子版、『Dearフレンズ(Now and Then)』の話がなかったのは残念。ああいう、「このしょうもない脚本を演じてる人、作ってる人は苦しくないだろうか」と思わされる類の作品に関わるのはどんなことか知りたかった。

デミが先駆けとなった「妊婦ヌード」の話は懐かしかった。
彼女自身、「特定の映画作品よりもこの写真のヒトとして私を思い浮かべる人のほうが多いのでは」と書いている。

私はキリスト者として、人が苦しいときに何を求めるか、何に依存するかに関心がある。
彼女の場合、依存はアルコール(後に克服)、たまたま出会ったスピリチュアルの指針は「カバラ」だった。

出会いは、デミがアイダホからLAに戻り、マドンナと再度親交を深めていたときに、彼女の当時の夫ガイ・リッチーからThe power of kabbalahをもらったこと。マーベリックのオフィスで講師(?)のEitanに会うようになったという。

Eitanがカバラの教義やユダヤ教の霊性を語るのを聞くのは、深い穏やかさと洞察に満ちた時間だった。もっと詳しく知りたくなり、家に帰って本を読み始めた。マドンナが毎週自宅でクラスを開いていたので、私は頻繁に通うようになった。
アシュトンと付き合い始めると、彼もカバラに興味を持った。2人ともスピリチュアルライフを渇望していたのだ。アシュトンはカトリックの家庭に育った。私はカトリックの洗礼を受けていたけれど、ほとんどそれとは関わりなく生きてきた。でも、私たちは何のために生まれてきたのか、どのように壮大な計画に組み込まれているのか、常々答えを探していた。そして、それが何であれ、私たちが一緒にいることは方向性として間違っていないと信じていた。

Demi Moore, Inside Outから拙訳

後になって、デミ宅でもカバラクラスが持たれるようになる。

今回、本書を読んで興味をひかれて見た映画は2本。どちらもとりあえずデミは魅力的。

『きのうの夜は...』
なかなか面白い。「同棲」という過酷(だと思いませんか?)な試みの辛さがよく描かれている。

『幸福の条件』は再見のはずだが、全然覚えてなかった。
あまりにひどい出来でビックリした。なんでいきなり「市民権クラスでバイト」始めるのよ。

それぞれ80年代、90年代の映画だが、両方、そういうシーンで妙な歌が流れ出すのに閉口。

本書のあらすじはこのインタビューでほぼ分かります。
PRのフックになっていたのは、先述の「売られた」事件、最初の結婚前日の浮気(とば口から失敗が織り込まれていた)とアシュトンとの子どもを流産したこと。
胸が痛いです。


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