最近、The Secrets of Hillsong、Shiny Happy Peopleと、アメリカの「本当は怖いクリスチャン家庭」のドキュメンタリーを立て続けに見てげんなり、すがすがしい三浦家の話を読み返したくなり、ちょうど10年ぶりに再通読。
新婚生活から『氷点』1等入選(そして母教会の牧師を招いての家庭礼拝の始まり)までを記した回想記である。
再読して、光世氏の家庭内の信仰のリーダーシップに対する感動が強まった。
新婚夫婦は礼拝案内の掲示板を家の前に立て、その後は雑貨屋も開店して、多くの人が集まる場所になったこと。キリスト者の家庭として理想的すぎる。
光世氏の頂門の一針
中でもこの10年、私にとっても大きな教えであり続けている光世氏の導きをいくつか。
この「断念すると気持が楽になった」というところ、すごーくよくわかる。神に委ねると平安がくる。
ちなみにクリスマス会を始めたきっかけは、光世氏の勤め先でキャバレーでの忘年会が計画されたが、幹事が気を回して欠席を許してくれ、浮いた会費の使い道を夫婦で考えた...というこれもまた三浦家らしい経緯だ。
また、光世氏のご母堂の信仰がすばらしいことも、今回改めて注目した。彼自身も、謙遜なクリスチャン家庭に育ったことがよくわかる。
以下は、都市封鎖が解除されたとき、家の中の仕事だけで食べられるけれども、とりあえずレストランでバイトを始めたときに私が考えたことと同じ。
この後、その一人にでも伝道ができれば、という願いが続くのだが、私の場合は出勤前に、今日出会うひとりひとりのお客さん、仕事仲間が幸せであるように、と祈る。
先述のドキュメンタリーに描かれたヤバい教会に限らず、私の教会で三浦家レベルなのは牧師一家だけだと思う。そもそも、離婚経験者のほうが多い...。
だが、少なくとも私たちには三浦家という「家庭も教会」の優れた先例がある。心の底からありがたいと思う。
<蛇足>読み返して気づいた負の面
自死の末路を辿る登場人物が多すぎる。戦後という時代で、家庭を開放し、後に著名作家になった彼女のまわりには大勢の悩める人が集まったという特殊事情もあるがそれにしても...。
それから、巻末収録の週刊新潮1999年10月28日号の「墓碑銘」に結構ショックな記述が...。10年前は何とも思わなかった。ここは私の側の変化ゆえだろう。もともと病がちの作家のこと、享年は77で、このせいで命を縮めたとは思わないが、信仰がそっちに行くんかいと残念。光世氏も止めなかったということだ。個人的には離婚したとかよりも残念かも。