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締め切り考 『書く仕事がしたい』を読んで (1)

佐藤友美著『書く仕事がしたい』を読んだ。著者がライターにいちばん似た職業として挙げている翻訳者のはしくれとして、私自身が常日頃考えていることをラブリーにパラフレーズして見せてもらい大変楽しかった。実用書は著者の自叙伝的な要素があるものが面白い。

締め切りを破られた思い出3つ

冒頭、締め切りに1日遅れる上手いライターより、腕はそこそこでも必ず締め切りを守るライターに頼む、という編集者の言葉が出てくる。

そして後のほうに、締め切りは破るものではなく延ばすもの、諦めずにヤバいと思ったら早めに相談、とあるのだが、私が依頼側としてそういう目にあったときは全員おさらばになってしまったなぁ、と思い出した。ホウレンソウが「早め」じゃなかったせいなのだが。

1度目は、翻訳会社さんが「当社は校正を2人がかりでやるが、2人目の校正者の都合がつかないのでもう1日ほしい」と締め切り当日に言ってきたとき。「ダブル校正してるんだから許して、不要なら今の時点で出してもいいけど」という言い訳のようだったが、たとえ誰かが倒れてもカバーできるのが企業じゃないの?と超疑問に思った。

2度目は、個人の翻訳者で、同じく当日に間に合わないとメールしてきた。こういう人にはもう怖くて頼めない。

3度目は、言語道断すぎてあまり遭遇しない例だと思うが、ウェブサイトの全要素翻訳を依頼した米国企業が締め切り日に3割程度のコンテンツだけアップしてきたとき。すぐにクレームを入れると、うちで預かってる原文ファイルはこれだけだ、足りないページをサーバにアップしろ、とのたまう。おまえ最初に何見て見積り出してきたん...。
このときは、手付けを払うときにおさえられていたクレジットカードから勝手に残りを引き落とされそうな気配だったので(なめられる日本人)、カードを無効化する手続きまでする羽目に。
実際、同社は納品完了の承認を受けないままにチャージを試みたようで、総務に連絡があった。私の上司が「アホか、当たり前だが残りは払わん」と怒りの返信をすると、「ファイルを提供してくれないとタスクを完了できない」と訴えるメールの送り主の役職レベルがどんどんアップしていった。
もうかかわりたくなかったので手付けは惜しいが放置した。幸い向こうから契約不履行で訴えられることもなかった。
(ちなみに、この会社に依頼をしたのは私ではない。自分で見積もりをとっていたらたぶん不穏さに気づいたはずだし、依頼に至ったとしても納期を数ステップに区切ったりしてリスクヘッジしたと思う)

私は絶対に締め切りを「守らせていただける」 

依頼を受ける側になってからも、チームプロジェクトの機会などに、締め切りを守らない、ラストミニッツで「間に合わない」と言い出す翻訳者がわりといるのを知った。

私は2015年に初めて翻訳でお金をいただいて以来、100%締め切りを守っている。それもよほど納期の短い依頼(報道関係など)を除いては、案件が大型になるほど前倒しで納品をする。たとえば納期が1か月後だったら、締め切り日の5日前には出す。
その前提で予定を組むので、豪雨で一晩停電になったときも、AT&Tが落ちたときも、家族の急用が入ったときも、余裕で間に合わせることができた。

代わりはいくらでもいるとはいえ、企業と違ってひとりで納品の約束をするのは緊張するものだ。

私の場合は、そこに「神さまは始めたことを必ず終わらせる方だ」という信仰が役立っている。聖書の中ではもちろん「神の計画」の完了の文脈で言っているのだけど、神さまが私に仕事を与えた以上、私が完結させられなくて人に迷惑をかけたりしたら神さまにとっても恥。そんな事態を神さまは絶対にゆるされないと確信しているのである。

終活ゼロで急死したあるひとり営業の弁護士は、ファイリングを全部やり直しになったクライアントから死後に恨まれている。仕事をすべて片付け、リタイアの地フロリダに旅立つ日に死んだある姉妹は、同情されつつさすがと称えられている。どっちも身近で見てるし...。

あなたがたのうちに良い働きを始められた神は、必ずそれを恵みのうちに成長させ、やがてキリスト・イエスが帰って来られる日までに、それを完成してくださると、私は堅く信じています。(ピリピ1:6)

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