書くことは生きること - Stephen King "On Writing: A Memoir of the Craft"

作家のメモワールは特に好きだ。
その来し方、クラフトライフはめちゃくちゃ興味深い。

キングのメモワールは、『洋書ベスト500』の渡辺由佳里氏が「無人島へ持って行く1冊」とまで賞賛していた作品。
洋書ファンクラブ「孤島に1冊だけ本を持ってゆけるとしたら...スティーブン・キングのエッセイ−On Writing」

タイトルのとおり、良い文章とは、フィクションを書くとは、小説を書いて身を立てるとは、また彼の制作プロセスまで、内容ぎっしり。
書くことに対する愛であふれている。
まさに A Memoir of the Craft。

形容詞、修飾語叩きから「言った」の使い方、workは鉄板ネタ、プルーフ後は初稿のマイナス1割、などといった具体的なライティングの極意については、既に先の読者たちが作ったまとめがたくさんあると思う。

私が特に面白いと思ったのは、彼の修行の過程と、「仕事」に対する知見。

彼は子どもの頃から物語を書き、クラスで売りさばいていた。
先生の紹介でスポーツ新聞社でアルバイトをすることになった(この流れ、アメリカらしい)スティーブン少年は雷に打たれるような経験をすることになる。
初めて書いた2つの記事を編集者のグールドのところに持って行くと…

彼は試合について書いた記事を読み、ふたつ小さな訂正を入れてからボツにした。
そして大きな黒いペンを持ち、特集記事の校正に取りかかった。
私はリスボンにいた残り2年間で膨大な時間を英文学のクラスに費やし、大学では作文、フィクション、詩作のクラスをとったが、ジョン・グールドはそのどれよりも多くを教えてくれた。それもものの10分で。
あの書きものを今も保存していたら、と思う。それはまさに額に入れるにふさわしい校正原稿であった。
(ここで、当時の赤入れ原稿の再現が掲載されている)

Stephen King, On Writing: A Memoir of the Craft 拙訳

そうそう、どんな座学よりも、お金をいただいて得るフィードバックは衝撃的に大きいのだ。

さて、作家として成功し、父親にもなったキング。7才の息子オーウェンがブルース・スプリングスティーンのバンドに憧れ、サックスをやりたいと言い出した。
奥さんと共に、どんな親でもそうであるように、息子の才能、将来に夢をみた。
早速クリスマスにテナーサックスを買い与え、地元の音楽家ゴードン・ボーウィにつけてレッスンを開始。しかし…

7か月後、私は妻に「オーウェンがウンと言うなら、サックスのレッスンを止めてもよいのではないか」と言った。
オーウェンは見るからにホッとした顔をして同意した。自分からは言い出せなかったのだ。サックスをねだったのは自分なのだから。しかし、いかにクラレンス・クレモンズの音楽が好きでも、サックスには向いていない、つまりサックスの才能を神から与えられていない、ということを悟るのに7か月もあれば十分だった。
私にそれが分かったのは、オーウェンが練習をしなかったからではなく、ボーウィ氏のレッスンの時間しか練習していなかったからだ。
<略>
これで分かったのは、サックスと息子に関して言えば、本番の演奏はついぞ実現しないだろうということだった。ただリハーサルが続くだけ。それは良いことではない。喜びがないなら、良いことではないのだ。
<略>
才能にあっては「リハーサル」という概念は消え去る。自分に向いている何かを見つけたら、それが何であっても、指から血が流れ、目玉が飛び出すまで、ひたすらやるだけだ。誰も聞いていなくても、読んでいなくても、見ていなくても、すべてが最高のパフォーマンス。なぜなら創造者としての自分はしあわせだからだ。

Stephen King, On Writing: A Memoir of the Craft 拙訳

最後の章は、彼が避暑地で遭遇した大事故のいきさつから始まる。
大けがを負い、数回の手術を経て、原稿に戻った彼はこう言う。
私を助けてくれたのは医者であり、救急隊員であり、ライターではなかった。
けれども私は…

ぜひ原文で鮮烈な人生讃歌を堪能してください。


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