入社して新卒1年目で感じた『成果』と『価値』の間にある違和感
ー 僕が働いている会社は良くも悪くも、年功序列は一切なく、事業成果と組織貢献で評価される会社である。
毎月子会社での表彰があり、Qに事業部での表彰があり、半期に全社での表彰があり、事業成果を出した人、組織貢献をした人が評価されやすい、とても良い組織文化がある。
表彰ではベストルーキー賞、ベストプレイヤー賞、ベストエンジニア賞、MVP賞など、各子会社・事業部ごとにユニークな賞が用意されていて、毎月末にSNSを開くと、『成果』を出した同期や先輩の投稿がずらりと並んでいるのも、うちの会社の特徴かもしれない。
そのため、『成果』『成果』『成果』と、会社の中では『成果』という言葉を耳にする機会がとにかく多い。
そんな会社で働いて8ヶ月が経った今、僕は『成果』という言葉に大きな違和感を感じていた。
その違和感は、会社の中での『成果』と世の中に対する『価値』の間に感じる気持ち悪さだった。
ー 先日、僕が所属していたビジコン学生団体の最終発表会があった。
Facebookのイベントページでは、登壇する学生の紹介がタイムラインに流れていて、それが違和感を感じるきっかけだった。
「〇歳からDJを始め、数々の海外DJの来日公演やクラブイベントに出演。今年初めて関わった楽曲制作では、動画サイトで大きな再生数を伸ばした。」
「高校時代に世論の作られ方に興味を持ち、大学では〇〇での放送やインターネット報道番組のアシスタントとして活動。メディアや報道に関して実験的取り組みを行なっている。」
周りを巻き込みながら自分がやりたいことに真っ直ぐに向かっている学生の紹介を見た時に、今自分が仕事で動かしている何億・何千万という額や今取り組んでいる事業、周りの同期が表彰されている『成果』よりも、よっぽど魅力的で『価値』があると感じた。
ー この『成果』と『価値』の間に感じた違和感の正体は、自分が行動した結果がユーザーに還元できているかどうか、それが見えているかどうか、その人がそれを認識できているかどうかだった。
僕も学生の頃は、母校の高校にて卒業した同期のOBを集めて高校生に向けて各大学を知ってもらうような講演会を行なったり、過去に参加していたロボコンの大会のOB・OG組織をつくって大会サポートを行ったり、通っていたビジネススクールで勝手にカリキュラムをつくって自ら講師として授業を行なっていたりなど、全て自分の行動した結果が「数値」でなく「言葉」や「表情」で返ってくるのを肌で感じることができた。
休学して友人とサービスをつくっていた時だって、「このサービスで世の中はこうなるだろう」「こんな人たちをこうしたい」みたいな、ワクワクする会話ばかりで、そこに『成果』という指標は一切存在しなかった。
むしろ、意図せずに「もっとこうしたい」「こうなったら良い」という『価値』を生み出すことばかり考えていた。
そして、その瞬間はいつも必ずワクワクしていた。
ー しかし今のような大きな会社で携わる仕事では、大きなプロジェクトの部分を担当したり、一般のユーザーではなく会社が相手だったりするので、どうしても結果が「数値」として返ってくることが多い。
同期と話している時だって、成果主義の会社柄もあり、どうしても『成果』という言葉が会話の間に常に介在している。
もちろん会社に雇ってもらっている以上は『成果』として会社に還元するのは義務だと思う。
でも、その会社は人や世の中のためにあって、自分たちの給料はエンドユーザーである消費者から支払われているのも事実だと思う。
こういう大きな会社にいるとどうしても『成果』ばかりに意識が集中してしまうが、新卒で少しずつ会社に慣れてきた今だからこそ、学生の時にワクワクしていたあの気持ちを忘れずに、仕事でもあのワクワクを感じられるような仕事がしたい。