大学生活で学んだこと―自分らしく生きるために、私には「鏡」が必要―

・初めての一人暮らし

私は大学生になって一人暮らしを始めた。
そして割とすぐに気づいた。「何もしなくても、一日は過ぎていく」ということに・・・。

当たり前じゃん、と思われるかもしれない。けれど、それまで実家暮らしだった私は生まれてこの方十数年間、「ほんっっっとうに何もしない日」というは過ごしたことがなかったのだ。二度寝はしたことがあっても四度寝はしたことがなかった。その前に朝ご飯のにおいにつられて布団を出ていたからだ。

一人暮らしの生活では、布団に入ったまま朝ご飯のにおいを嗅ぐことはまずない。特にこれと言った用事がなかったある日、特に計画を立てず布団でごろごろしていたら本当に何もしないまま日が暮れてしまって驚いた。「受験生のときはあんなに一分でも惜しんで生活していたのに、何をしていようが一日は一日なんだなあ―」

・一人暮らしをして知った「虚無感」

しかし「何もしない日」を何度か過ごしてしまうようになると、そんな新鮮な驚きもなくなってくる。が、同時に「虚無感」みたいなのを経験することになる。なんだか、「自分」の影、というか存在というか、そんなようなものが色が薄くなって透け透けになっていくような感じがするのだ。

どうして一人で何もしないでいると「自分」が薄くなるんだろう。
これが答えだとは言えないけれど、一人暮らしをしてみて思ったことがある。それは、見える範囲内に人がいない生活は自分を意識しづらくなる、ということ。人が行動しているのを見ることが、自分の行動を促しているのではないか。人の存在を感じることが、自分に対する意識を鮮やかにしているのではないか。そんなことを考えにたどり着いた。

・「自分」を復活させなきゃ

そういう「虚無感」みたいなのを感じるときは、大抵やる気が湧いていない状態。私はそんなとき、「鏡」を見に行って自分のご機嫌をとっていた。

ただ、鏡に映った自分を見るだけ。でも、ああ自分だなあ、と存在を確認するとなんだか、ちゃんとしよ、という気が起こるのだ。やる気がいまいち出ないのは「自分」を掴めていないとき。けれど、存在をつかめると、どうしてやる気が起こるんだろう。逆に鏡も見ずにずっとベットにいるとますます鬱になる。自分がいなくなってしまったようになる。

私はときどき「鼻歌」を歌う。「鼻歌」にも実は「鏡」の役割があるんじゃないかと思い始めてきた。「鼻歌」を歌うときは、もちろんご機嫌で自然に歌が出てしまうときもある。けど、エンジンだけはかかってて、でももう少しアクセル踏み込みたい、という時にあえて歌うこともある。声帯を使って、自分の声を自分の耳から聞くって、「鏡」で「自分」の存在を確かめてる時となんだか似ているな、と思う。


でも、やっぱり不思議。
どうして自分の存在を感じられると、やる気がでるんだろう。


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