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2回目の命日の方が辛いなんて誰も教えてくれなかった

夫が脳腫瘍で亡くなってから2年。
1年目より2年目の方が辛いなんて、誰も教えてくれなかった。
(仕方がないけど)

昨年は相続関連手続きも終わり、新たな仕事もはじめ、なんだか訳わからなく1年が過ぎたんだね、という感覚だった。
今年は時間にも余裕があるからか、5月頃から何かと思い出したり、Google photoさんから飛び出してくる2年前の写真に色々感じてみたり、何かと泣けた日々だった。

気晴らしに、誘われるがままに友人と週末にベトナムに弾丸旅行に行ってみた。気心知れた女3人旅は楽しかったけれど、でもその効果は数日だった。

今年の命日前には夫の友人がお花を贈ってくれた。
昨年も送ってくれた方で、一番、彼と仲良かった方。
その心遣いにも泣けたけれど、お礼メールをしたときの返信に「何かお花にメッセージでも書こうかと思ったけれどなんて書いたら良いか分からなくて」とあったのが、それだけで十分気持ちが伝わってきた。
あぁ、遠く離れた場所に、同じ気持ちでいる人がいるのだなと思った。

命日後、会社の同期や、高校時代の友人も、この暑い中遠方から訪ねてくれた。

私側の友人は彼を「私の夫」としてしか知らない。
でも彼の友人たちは彼をそのまま知っているので、彼の話を思う存分できるのがちょっと嬉しい。みんな、彼の思い出を語ってくれる。
割と無難(?)に生きてきた彼の、今更知る面白い話等。

そして、「あいつは気づかへん奴からさー、みーにゃんさんがどれだけしてくれたかほんまには分かっとらんと思うで」と正直に友達目線で言ってくれたり(やっぱりそうよね、さすがよく本人をご存じでw)。
彼が自覚なく去っていったことについても「あいつが一番幸せもんやで」と言ってくれたり。
「あいつがおらんようになって、悲しい。会う機会はあったのに、なんで会わへんかったのか」「未だに、ただただ居ないことが信じられない」と心のうちを打ち明けてくれたり。
そして、古くからの友達は「お前、そろそろみーにゃんさん自由にしたれや」と写真の彼に言い放ち(笑)、私への気遣いも忘れない。
本当にありがたい。

私は、彼の看取りについて、後悔していることは何もない。
出来る限りの精一杯のことをやったと思うし、自分でもよく頑張ったと思う。

でも、言っても仕方がないことだけれど、私に目を向けてもらいたかった時間がなかった(なかったというのは言い過ぎだけど)について、寂しいのだなと。それがなんかボディーブローのように効いているのだろうなと思った。

たぶん、一匹オオカミ的に、誰も寄せ付けず、誰にも何も話さず生きてきたからこその今の自分だから仕方がないと受け入れつつ、ひとりになった今、寂しく思うのだろうと思う。

でも、どんな人も苦労する人生の場面があり、それと付き合いながら生きているんだなと思っている。
仕事柄、色々な人生の苦難の話を聞くが、彩り豊か(良くも悪くも)で、それに対して抵抗したり、もがいたり、共存したり、試して砕けたり、精一杯生きていると感じる。
すごいなぁと感じている。

会社で上手くいかなくても
自分で業務に自信が持てなくても
居場所という程の場所がなくても

恵まれているのは確か。
健康なことも確か。
ありがたいことだなと思う。

来年の今頃は、私は何をどう思うのだろうか。




あなたが会いたがっていた人たちは、今もあなたに会いたがっているよ。
良い絆を見せてもらっている気がするよ。
良かったね。一緒に、飲みたかったよね。

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