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パリオリンピックとフランス革命とサン・ジュスト

パリ五輪が開幕した。
東京大会からもう4年も経ったっけと思ったが、そういえばコロナで1年延期になっていたのだと思い出す。

今回の大会は大変だ。私はとりあえずサッカーは観ると決めているが、どの試合も日本の深夜〜朝方にかけて行われる。フランスとの時差は7時間。日本が勝ち進めば勝ち進むほど寝不足になるが、まあ仕方ない。

競技の他に毎回楽しみしているのが「開会式」だった。飲み会帰りでグロッキーになっていたためリアルタイムで観ることは叶わなかったが、芸術の都パリで行われる開会式はさぞ美しいものだろうと期待していた。

翌朝、「開会式どうだったかな〜」と思いながらネットを開き、目に飛び込んできたのがこれだ。

いや、怖っ!!

この貴婦人がフランス革命で処刑されたマリー・アントワネットであることはすぐ理解できたが、わざわざギロチンで首を落としたところを取り上げるなんて…。日本では「ベルサイユのばら」の影響もあり、マリー・アントワネットは悲劇のヒロインという印象が強いが、フランス人と日本人のマリー・アントワネット観の違いを思い知らされた(フランス人でも怒っているる人はいたが)。ちなみにメタル演出は普通にカッコよかった。GOJIRA!

←オリンピックのマリー・アントワネット 私が想像するマリー・アントワネット→

斬首はちょっとびっくりしたけど、ロンドン大会のように、自国の歴史を振り返る演出はみんな想定内だっただろう。フランス革命のように王様が議会の決定によって処刑されるようなセンセーショナルな出来事なら尚更だ。

前置きが長くなってしまったが、開会式で私がちょっと期待していたのが「革命の大天使」こと、ルイ・アントワーヌ・レオン・ド・サン・ジュストの登場だった。

サン・ジュスト(1767-1794)

ルイ・アントワーヌ・レオンまでが名前で、ドは貴族を表す接頭辞、苗字がサン・ジュストだ。長いので以下サン・ジュストで通す。

サン・ジュストはフランス革命の時代の革命家、政治家だ。彼は、革命を主導した国民公会(議会)の派閥「ジャコバン派」の中心的メンバーで、国王処刑後に恐怖政治を敷いたロベスピエールの右腕として活躍した。

手元にある高校の世界史の教科書を見たところ、サン・ジュストに関しては記載がなかった。彼は立ち位置的にはナンバー2なのだが、日本のマンガではロベスピエールと同じくらいの扱いか、むしろロベスピエールを差し置いてメインに据えられることもある。

その理由は残ってる肖像画が中性的な美青年だからとか、最期が悲劇的(26歳の若さでギロチンで処刑)だからとか、「死の大天使」ってあだ名が2次元っぽいとか様々あるのだろうが、妙にキャラが立っている感じがクリエイター心をくすぐるのかもしれない。最近もサン・ジュストが主人公の「断頭のアルカンジュ(メイジメロウ・花林ソラ作)」があった。

断頭のアルカンジュ。絵が綺麗です

そのほか、彼はちょくちょく日本のマンガに(「マリーベル(上原きみ子作)」、「第3のギデオン(乃木坂太郎作)」、「イノサン(坂本眞一作)」など)登場している。

私は小学生の頃「ベルサイユのばら」でサン・ジュストを知り、その後中学に入り澁澤龍彦の「異端の肖像」を読んでどハマりした。澁澤龍彦特有の耽美な語り口と当時患っていた中2病が融合した結果かもしれないが、おかげで、受験にも日常生活にも役に立たないフランス革命の知識がついた。私にとって「革命」といえば18世紀のフランス革命で、実は21世紀になっても世界中で革命は起きているのだけど、そういうことには無頓着だった。

そして大人になり、彼が処刑された年齢も飛び越えた現在。サン・ジュストという人物が具体的に革命家・政治家として何をしたのかが気になりだした。といっても政治思想について論じるほどの知識と能力はない。
でも気にはなる。ということで、機械翻訳を駆使して解読したスピーチと共に、彼の代表的な功績(?)を2つ、ここに記載しておきたいと思う。

1つは、1792年11月13日に行われた、国王ルイ16世の処刑を決定づけたと言われるスピーチだ。すごくざっくりいうと、「私たちが国民主権を標榜する共和国の国民である以上、王という存在は主権を侵害する存在であり、国民によって裁かれるべき」という過激な内容になっている。

私自身は、中間の立場は見当たりません。この男は君臨するか死ぬかのどちらかです。
<中略>
無実のままで君臨することは不可能です。その愚かさはあまりにも明白です。すべての王は反逆者であり、簒奪者です。王自身が、その権威を簒奪しようとする者たちを、そうではないものとして扱うでしょうか?

出典:Saint–Just (13 November 1792)

サン・ジュストはこの時25歳。キレッキレである。Google翻訳のため堅苦しい表現になっているが、無実のままで君臨〜の部分は「人は罪なくして王たりえない」という名訳が存在している。(Wikipediaによると初出は1961年の「世界の歴史 (10) フランス革命とナポレオン(桑原武夫著)」)

もう1つは1794 年3月3日に行われた、新法提案に関するスピーチである。"今月8日に出された〜"とあるが、当時は西暦ではなくフランス革命暦という独自の暦が設けられていた。1794年2月26日がフランス革命暦2年ヴァントーズ月8日、スピーチが行われた3月3日がヴァントーズ月13日にあたる。(ヴァントーズはラテン語の風に由来)

この新法はヴァントーズ法と言われ、革命反対派の財産を没収し、貧困層に再配布する事を目的とした法だったが、実際に施行されることはなかった。

市民の皆さん、私は国家公安委員会を代表して、今月8日に出された革命の敵に対する布告の執行方法をお知らせします。
政府の全ての知恵は、革命に反対する勢力を抑え、あらゆる悪徳や自由の敵を犠牲にして人民を幸福にすることにあるという考えは非常に広く共有されています。
<中略>
ヨーロッパの人々は、我々の国で起こっていることについて誤解しています。あなたたちの議論は歪曲されても、強力な法律は決して歪曲されません。それは、消えない稲妻のように外国に浸透します。
不幸や圧政者をフランスの領土に残さないということをヨーロッパに知らせましょう。この例が実を結び、地上に美徳と幸福の愛が広まるようにしましょう。幸福はヨーロッパにおける新しい概念です。

出典:Saint Just Discours du 3 mars 1794

この演説の半年後、恐怖政治に反対する勢力のクーデターにより、サン・ジュストはロベスピエールらと共に処刑される。

200年前、「自由」「平等」「友愛」をスローガンとしたロベスピエールたちは恐怖政治によって約2万人を処刑した。「恐怖政治」を表すフランス語の「terreur(テルール)」は現代のテロの語源にもなっている。「幸福」を追い求める気持ちは皆同じはずなのに、こうしたことが起こってしまう。

3週間前、フランスでは議会選挙が行われ、与党、右派、左派が三つ巴の戦いを繰り広げていた。一部地域では選挙結果を受けた暴動も発生したようだ。そういえば、右派、左派の語源もフランス革命時の国民議会の座席位置だった。

そして今回のオリンピック。開会式のテーマは「自由」だったらしい。国民の自由を妨げる側だった象徴としてマリー・アントワネット(斬首済み)を出すなら、「自由」をもたらそうとしてちょっとやりすぎちゃったサン・ジュストを出してもよかったんじゃないの、と思う。それならロベスピエールじゃね?とか知名度が…とか言われそうだけど。いちオタクの意見です!

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