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ディスりでコミュニケーションをとりたくないなぁ

前に「謝罪」でコミュニケーションしていきたくないって話を書いたんですけど

今日は「ディスり」でもコミュニケーションとっていきたくないなぁっていうお話。

病気で弱ってる父親に鞭を打つなよとも思うんだけど、父を反面教師にしたいぜ~~と年末年始の帰省で感じたことのメモです。


うちの父は、すぐにディスる。
ディスるというと若者っぽいかもしれないし逆に死語なのかもしれないけど、たとえば

※リアル感をお伝えするため熊本弁ゴリゴリでお届けします(一部 翻訳)

■原宿でスイーツに並ぶ女子!のニュースを見て
「わ~1500円てたい。あほらしか、原価は100円てせんごて」
(100円もしないだろうに)

■今人気の(お目目くりくり)若手俳優!の紹介をテレビで見て
「カエルんごたる顔しとるね」
(カエルみたいな)

■ストラックアウト ラスト1球成功で100万円獲得!な体育会系バラエティーを見て
「はいっ 失敗!(けらけら😄)」
※投げる瞬間を家族が見守っている静寂の中、そう言う。

■久しぶりに訪れた焼肉店で店員さんに
「サラダバーは昔より種類の減ったごたるね!(けらけら😄)」
(減ったみたいだね!)

みたいなことを平気で言うのだ。
特にテレビには、毎秒ちゃちゃを入れるので、バロメーターが振り切れたわたしはよく「あのう、楽しくテレビ見たいんで静かにしてください」と申告する。


とくに最後の例に関しては、かわいいお姉ちゃん(店員)と楽しく愉快におしゃべりしたいという気持ちのみ。悪気は一切無いのが厄介。
普通の人なら「美味しかったよ~!」で双方気持ちのいいコミュニケーションができるとわかるのに、父は愉快な会話の1丁目1番地に「何かをディスる」ネタをもってくる。

それでいうと、1〜3例も、自分のこの一言で家族が同調して「も~(笑)何言ってるのよ~(笑)」と笑ってくれると思いこんでいるわけ。


大前提、父はマジでマジで友だちがいません。
父が「誰々と出かけてくる」と言って出かけていく姿を見たことがない。むしろ、居酒屋を経営していた時代は付き合いで近所の店に顔を出すことがあったみたいだけど、「店主と喧嘩して縁を切ってきた」というエピソードならいくつか記憶にある。想像できる。父が何らか相手の怒りの琴線に触れる無神経な一言を放ったのだろう。

父の、余計な一言がマジで余計すぎる問題に関しては家族みんなが悩んでおり、反面教師にもしていて。なので周りの人間にも十分伝わってたとするならば「友だちがいない父」というのはひとつの答えだと思う。

だって会話をしていて楽しくないじゃんね。
何か二言目には「ウケ狙い」で、何かを卑下したり、失礼なことを言ってくるんだもん。距離を置くのは当然だよ~~~!

だからつくづく思ったのです。
ディスりでコミュニケーションをとってはいけないなと。何かをディスることや、(逆に)盛り下げる余計な一言が笑いに繋がると信じてるのは可哀そうなこと。だって、結果的に周りから人がいなくなってしまうからね。

この人、誰かを褒めてるところ聞いたことないな~。いつも上から目線な笑いのとり方が多いな~。と思ったら距離を置く合図だよね。人の振り見て我が振り直せ。できれば私は誰かにとっての「この服着てったらメメちゃん褒めてくれるだろうな~」とか、会うのが楽しみになる人でありたいな。

おわり!

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