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椎名林檎詞における「正しい」②「野性の同盟」の場合

 椎名林檎はこの曲を提供するうえで「唄い上げないで、訥々と手紙を読み上げるように」と柴咲コウへ依頼した。「訥々と」という通りの穏やかな曲調と、うらはらな「野性」というワード。その「同盟」とはどんな同盟なのか。考えてみました。

 「正しい」が印象的な用いられ方をする曲。なお椎名林檎歌唱版(「逆輸入〜航空局〜」)を聞いて書いています。


 「挨拶のない手紙を書き損じたまま大事にしたい折り目嵩張ってく/綯い交ぜの念僕は埋め尽くしたものの相変わらず君へ遅れず仕舞い」。挨拶のない手紙を送る相手。手紙を書くのだから何かを伝えたい。でも、大事にしたい何かが、常套句を連ねることを許さない。紙を埋め尽くすほどの感情を、君に送ることはできない。
 「ふしだらな世界を縫って引き合うようにふたりは野性を有している」。二人がいるのはふしだらな世界。そこで二人は互いに引き合う「野性」を持っている。題名にもある言葉だが、謎めいていてここではまだよくわからない。
 「ねえ如何して今会えないでいるかを教えて欲しいよ声が聴きたいよ/知っていたんだ前に云っていたね君にとっては沈黙だけが正しいと」。引き合うけれど、会えないでいる。「知っていたんだ」というのは、何かの本来の姿やを認識していたということ。「沈黙だけが正しい」というのは君の言葉だが、知っていたの主語は僕、もしくは君と僕だろうか。


 「最初の出会い遥か秋空を思い返せば内緒の願いもじき片付いていく」。内緒の、表に示していない願いも、二人の来し方を思えば、穏やかな気持ちで相対することができる。
 「分かたれた未来の今日が割り出す過去ひとりじゃ野性を無くしそう」。相手から、出会いの頃から隔たった今。「今日が割り出す過去」とは、いまになって振り返った過去、ということか。自分のなかにあった、君と自分を結んでいた何かを、ひとりで居ると失いそうだ。
 2番冒頭は二人の過去について、相反することを述べているとわかる。心を穏やかにしてくれるものではあるけれど、今の立場から振り返った時、その対比に耐えかねるものでもある。
 「ねえ如何して今会いたくなったかを考えて欲しいよ顔が拝みたいよ」。どうして会えないでいるか教えてほしい、どうして会いたくなったか考えてほしい。1番2番いずれも独特なコード展開をするサビの部分。「会いたい」をこう言い換えられるんだなあと思う。


 「憶えているちょっと泣いてたね僕にとっても沈黙だけは正しくて」。君にとってそうだったように、僕にとっても沈黙が正しかったという。泣いていた記憶のなかのひと場面、沈黙を守った僕。そうすると泣いていたのは君だろうか。その瞬間において、沈黙だけは「正しい」と感じた。「だけは」という言い方に、発語することと沈黙の単なる対比というより、「何種類の台詞と比べてもそれだけが正しい」という印象が生まれる。「黙ってるほうがいい」ではなく、いかなる言葉も、適当なものはなかったのだと。


 「真相なんて何時だって物音一つしないしじま一点に宿っているんだ」。前段のサビから長い間奏を挟み一転、静けさを刻むような音。二人のあいだの静寂に真相がある。
 「そう生きているという絶望こそが君と僕とを結わえている野性」。ここで「野性」とは何かが示された。繰り返されてきたサビの節もここで変化し、君と僕の関係性を表す勘所のように思われる。冒頭から続く朴訥とした言葉のなかで、この「生きているという絶望」は異質なものだ。題に「同盟」とあるように、この曲は君という同志へ宛てた手紙なのだと思うが、同じくする志とは生への絶望であった。


 「さあかつての少年少女等は分厚い諂いを着込んでいるころでしょう」。核心に触れたあとで、引きの視点が挟まれる。「ああ冷えてきた思い出してしまうのは君の無言の吐息の白さ/潔さ」。かつて少年少女だった者たち(自分のことでもあるだろう)が諂いを身につけるのを横目に、コートの襟を引き寄せ、自分の吐息に連想する。このあたりは映像のよう。「吐息の白さ」という写実的な描写が初めて出てくるからか。「着込む」「ああ冷えてきた」のつながりが鮮やかで、連続したカットを思わせる。手紙の文面のような装いから始まり、最後に現実の今の自分。
 思い出されたのは君の無言と、そこに現れていた潔さ。無言のうちに、君の在りようを見出した。題のみに示された「同盟」とは、言葉を交わして定めたものではきっとない。今も色褪せぬ、君との密やかな共鳴のことなのだろう。


 「沈黙が正しい」を考える。「沈黙」とは、生へ絶望した君と僕がとった態度であり、共有した価値観の象徴だった。「正しい」という、傲慢ですらある言葉を使うのは、世界への態度を君と共有した喜びを、確かめる行為なのかもしれない。


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