椎名林檎詞における「正しい」①「正しい街」の場合
「あの日飛び出した此の街と君が正しかったのにね 」。
「あたし」は街を飛び出した。「街」が「正しかった」って、どういうことだろう。と思い考えてみた文章です。
「不愉快な笑みを向け長い沈黙の後態度を更に悪くしたら/冷たいアスファルトに額をこすらせて期待はずれのあたしを攻めた」。不愉快な笑みを向けたの主語はだれか。詞を通して相手を責める表現はないため、「不愉快」なのが君だとは考えにくい。「期待はずれのあたしを攻めた」とあるから、攻めたの主語は君、額をこすらせたのも君、態度を更に悪くしたのは自分(「あたし」)、と考えてみる。自分は何か君の期待を裏切ることをした。自分は不愉快な笑みを浮かべ態度も悪かったのだという。何があったんだろう?具体的なことはわからないが、自分と君の関係のきしみは読み取れる。
「君が周りを無くした」。ひどい仕打ちをする自分に、「周りをなくす」君。周りをなくすとは、打ちひしがれて周囲が真っ暗になり、抜け落ちるような感覚を指すのではないか。それほどに君は衝撃を受けている。
飛んで2番冒頭では、自分と君が共に居た頃のことを述べる。「短い嘘を繋げ赤いものに替えて疎外されゆく本音を伏せた」。赤いものとは、赤い糸か何かだろうか。日常で発する言葉の、本音とのささいな齟齬。隠して嘘をつらねて、君との関係を保つ。自分の本音は疎外されていく。
「足らない言葉よりも近い距離を好み理解できていた様に思うが/君に涙を教えた」。言葉ではうまく繋がれずとも、そばにいるのは自分であって、そばにいるから感じ取れるものもあった。けれど、結末として自分は君に涙をもたらした。
Aメロではいずれも「あたしはそれを無視した」「あたしはそれも無視した」に至るまで、自分が君に与えた痛みについて述懐している。その痛みへ、不感の態度をとった。
「さよならを告げたあの日の唇が一年後/どういう気持ちでいまあたしにキスをしてくれたのかな」。「可愛いひとなら捨てる程居るなんて云うくせに/どうして未だに君の横には誰一人居ないのかな」。これも1番2番それぞれ同じ旋律の部分。かような仕打ちをうけながら、別れの一年後にキスをしてくれた君、強がりながらも未だ恋人をつくらない君。それを認識しているあたし。君に与えた痛みと、なお君の中にある自分への思いの両方を反芻する自分。
「何て大それたことを夢見てしまったんだろう」「あんな傲慢な類の愛を押し付けたり」。何かを自戒するように曲調が強まる。君への愛は傲慢だという。君を傷つけたのに、君を愛したことを自戒しているのだろうか。
「都会では冬の匂いも正しくない」。ここで、「正しくない」が出てくる。簡単に思いつく言い換えは「都会の冬の匂いは、故郷のそれと違ってしっくりこない」だが、言いこぼしているものが多そうだ。するどく叫ぶ旋律、曲中でもっとも激しい部分なのだ。うしろに続くのは「百道浜も君も室見川もない」。「正しくない」と感じる原因にあたるのがこの部分と思われる。君がいない場所をネガティブなものとして認識しているのは間違いがない。裏返せば、君がいる場所を肯定的に評価している。ただ、前段で自分を戒めたように、君を傷つけた自分は君を求めるべきではないとわかっている。その抑制を利かせたうえで、君を求める感情がほとばしっている結果が、「正しくない」という表現だと考えるのはどうだろう。
「もう我が儘など云えないことは分かっているから/明日の空港に最後でも来てなんてとても云えない」。ほんとうは来てほしい。ただ言うべきでないことはわかっている。同じ感情が、先ほどより静かなトーンで繰り返される。
「忠告は全ていま罰として現実になった」。「罰」という言葉の厳しさが印象を残す。忠告とは誰かから自分へ告げられたもの、罰とは君を傷つけたことへの罰。現実とは何か。君を傷つけた事実と、恋しさのはざまで「君がいない場所は正しくない」というねじれた言い方でしか感情を表現できなくなったこと。
「あの日飛びだした此の街と君が正しかったのにね」。冒頭と最後に出てくる「此の街と君が正しかった」について、「ここでいう正しさとは何か」を考える意味はないのかもしれない。愛しいと言いたくとも、(「正しくない」からひっくり返した)「正しい」という言い方しかできなくなった。そこに、傷つけておきながら抱く君への愛惜があらわれている。
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