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記憶を思い起こさせる味/清水翔太さん

このインタビューでは、はじめにみなさんに、「さいごに食べたいおやつ」を伺います。それをきっかけに、「さいご」について考えていることを深堀りしていきます。今回は、介護職の清水翔太さんにお話しを伺いました。

清水さんプロフィール

清水翔太(しみずしょうた)/東京都町田市出身。特別養護老人ホームに勤務して5年目。好きなものは水滸伝(北方健三)、カイロプラクティック、ベース、ジブリ、ジム。 twitter:@shota_gakudan facebook

―今日はよろしくお願いします! さっそくですが、清水さんが最期に食べたいおやつは何ですか?
最初聞かれたとき、「おっとっと」だなって思ったんです。でも、たしかに好きなんですけど、改めて考えたら「アルフォート」かなって思います!
―おぉ、いいチョイスですね!なぜ、改めて考えたら変わったんですか?
質問されたときにぱっと思いついたのがおっとっとだったんですけど、「よく考えろ、最期に食べるおやつがそれでいいのかお前?」ってもう1回真剣に考え直して「いや、違うな…アルフォートだな…」と思って、アルフォートにしたんです。
―ふむふむ?
理由は、自分の最期をイメージしたときに「あ、このチョコレートの味、あのときにも食べてたよな」ということを走馬灯のように思い起こさせる味なんじゃないかなと思いまして。それはきっとアルフォートだなと。
―なるほど!
アルフォート好きで、めちゃくちゃ食べてるんです、今。職場に常備していて。だから年取ったときにアルフォート食べて、「あぁ、あのときは頑張ってたな」「ケアについて悩んでたな」ってふうに思い起こせるかな、と思って。
―理由を聞いたらとても深くて、納得しました。
いや、そんなに深くないですよ。笑
―アルフォートのミルクとビター、どちらが好きですか?
水色の甘いほう(ミルク)が好きですね。
―おっとっとにはなにか思い入れがありますか?
高校のときにはじめて食べて、単純に絶妙な塩味が好きで!特に深い理由はないですね。
―好きなおっとっとのカタチはありますか?
全然考えず、カタチは見ないで食べていました。笑
―今度食べるときは見てみてください。笑 飲み物はどうですか?
うーん…コーラですかね。
―普段から飲むんですか?
コンビニで飲み物買うとき、お茶かコーラかで迷って大体コーラを選びます。
―甘党なんですね!
現実的に最期の最期って考えると、やっぱり水ですかね。つまらないかもしれないけれど。シンプルなものを欲していると思います。
―たしかに。好きなものと、本当に最期に身体が求めているものは違うかもしれません。

―清水さんが介護職をはじめたきっかけはありますか?
ほんと、たまたまですね。福祉には興味を持っていましたが、今働いている法人で働きたいと思って、配属先がたまたま介護だった、という感じです。
―もともと福祉に興味があったけれど、分野にこだわってはいなかった?
最初は、制度の狭間の問題と言われている、制度だけでは解決できない問題に対して、新たなサービスだったり、ケアを提供していきたいという思いが1番強かったです。
―配属が介護職に決まったときの気持ちはどうでしたか?
ソーシャルアクションやりたい、と言ったら、まずは現場を3年くらい経験してみたら、と言われて、とりあえず3年やってみるか、という思いでした。結果、今年の4月で5年目になりました。
―今のモチベーションはどんなことですか?
介護のほかに興味を持つことが出来て、それが楽しいです。
去年の8月くらいから、カイロプラクティックに通っていています。簡単に説明すると、骨盤の調整と、食べ物や睡眠などをトータルでサポートし、その人の生活を整えていく行為ですね。
―なぜそれに興味を持ったのですか?
もともと、日本人の健康寿命を伸ばしたいという思いがあって。というのも、介護保険制度は本来、自立支援が目的です。介護を受ける状態になっても、また回復して、社会に戻って、「介護を受けなくても大丈夫な状態になりました」って人が、もっといていいんじゃないかなって思っていて。そういう人をもっと増やしたいなと思っているんですが、そのためには高齢期になってからではなくて、20代、30代といった若いうちから健康を整えていく必要性があるなと思っています。そう考えていたときにたまたま出会ったのがカイロプラクティックでした。
―なるほど。
アプローチはいろいろあると思うんですが、僕が今出会ったのがカイロプラクティックだったので、興味とばっちりはまっているところです。

―そもそも福祉系の仕事に就こう、と思ったきっかけはありますか?
中学生の頃、母親がおばあちゃんを在宅で介護していて。人って段々自分でご飯食べられなくなっちゃうんだとか、トイレに行けなくなっちゃうんだとか、その程度の認識でしたが、その様子を見ていました。最期、在宅で看取ったんです。福祉とかよくわからなかったけれど、なんとなしにこれが福祉っていうものなのかなって感じて、後々考えるとそれが原体験だったな、って思います。
それから進路を考えるときに、当時、児童相談所が舞台になっている「ドン★キホーテ」というドラマが放送されていて、「児童虐待ということが存在するんだ」と初めて知って。お腹を痛めて産んだ子に暴力を振るってしまうのは、親にとっても、子どもにとっても辛いことだなと感じて。じゃあちょっと福祉のことを調べてみようと思って、勉強をがんばって、福祉系の大学に行きました。
―ドラマをみたのはいつぐらいですか?
はっきり覚えてませんが、中学生か高校生でした。
―そこにアンテナが反応したことや、今介護の仕事を続けていることは、もしかしたら原体験の影響もあるのかもしれませんね。

―身近で経験があるとのことですが、介護の仕事をする前と後で、看取りのイメージ変わりましたか?
うーん、正直そこはあんまりよくわからないです。仕事に就く前に何度かお葬式に出たこともあるし、亡くなった人の顔も見たことがあったけど、「人って死ぬんだなぁ」と漠然と思っただけで、悲しくもないし、よくわからなかった。おじいちゃんのときも、悲しかったけど涙は出なくて、数日経ったら、忘れるまではいかないけど、気にしなくなりました。母親は引きずっていましたが。
―その感情は、それまでの関係性に関係ありそうですか?
いや、僕すごくおじいちゃんっ子で、おじいちゃん大好きだったんですよ。将棋がアマ4段だったかな?すごく強くて、おじいちゃんに将棋教えてもらったり、一緒に市民ホールの将棋大会に出たりとか。チョコレートもよく買ってもらったし、2駅くらい先のお店に買い物に行ったりもして、おじいちゃん大好きでした。
―亡くなったときは、実感がわかなかった?
いえ、逆に、おじいちゃんが死ぬときに他の誰でもなく「翔太、翔太」って呼んでたんですよ。僕の名前だけ。それは単純に嬉しかったし、言葉が見つからないけど、悔いがなかったって言ったらいいのか、最期に求めてくれて亡くなっていったんだなぁ、みたいな。
―自分の名前を呼んでもらったことで、気持ちが満たされた感覚でしょうか?
かもしれません。
―悲しいけれど引きずらなかったというのは、納得感があったからでしょうか?
そうかもしれません。小5か小6くらいだったんですけど、正直、僕が将棋を教えてほしいとか、おやつを買ってもらいたいというよりかは、小学生ながらに、おじいちゃんがそうしたいのであればおじいちゃん孝行しよう、という気持ちもあって。もちろん好きだったっていうのもありましたよ。それに加えて、恩を返したいという思いもありました。
今考えると、納得感だったのかもしれません。最期に名前を呼んでもらったことだけじゃなくて、ターミナルケアじゃないけど、死ぬまでの過程でおじいちゃんといろいろとかかわることができたから、悔いがなかったのかもしれません。
―それまで、「死」そのものについて考えたことはありましたか?
まったくないです。
いずれ死ぬっていうのもわかっていなかったと思います。おじいちゃんのことが好きだったからこそ、亡くなったあとに思い返して「自分あれだけ(おじいちゃん孝行)やったじゃん」と思えていたのかもしれません。
―死について考えるようになったきっかけってありますか?
職業柄、ターミナルケアについてかかわるようになって、向き合うようになりました。でもそれは、「大好きだった○○さんの死を通して」というわけではなくて、いろいろな方の看取りを通して、その都度、死に対して考えるようになって、徐々に培われてきた感じです。
―介護の仕事をしてなかったら考えていなかったと思いますか?
間違いなく考えていないですね。
―今はどうとらえていますか?
1つは、死に関する本を読み漁っていたときに、樹木希林さんの「樹木希林 120の遺言」って本の中で、「いつか死ぬではなくて、いつでも死ぬ」っていうワンフレーズがあったんですね。それがすごく心に残って。よく、「いつか死ぬんだからさ、今のうちに好きなもの食べておこうよ」とか、軽い気持ちで言うこともあったんですが、そうじゃなくて、「いつでも死ぬ」んだよって強いメッセージを受け取って。ちょうどターミナルケアの方がいて、それがあって死についての本を読もうと思って本屋で本を立ち読みしていたら、その言葉に出会ったんです。だから、まぁよくある言葉ですけど、「毎日悔いないように生きよう」って思って、それが原動力になっていると思います。
あと、もう1つ。さっきの自分のおじいちゃんの話にも通じるかもしれないんですが、よく霊柩車が通ったときに「親指隠さないと親の死に目に会えないよ」って言うじゃないですか。でも、あれはなんなんだろう、と別の本に書いてあって。「親の死に目に会えなくたっていいじゃないか。なぜかというと、親の長い人生からみたら、死に目なんて、その人の最期なんてほんの一部じゃないか。その最期だけ会えて親孝行になるのか」って。もちろん人の価値観によって共感しない人もいると思うんですけど、僕はそれにとても共感して。最期の瞬間じゃなくて、そのプロセスにどうかかわったのかがめちゃくちゃ大事なんだな、って思ったので、親にも、今更ですけど、ちょっとずつ、LINEで「ありがとう」っていうだけでもいいから親孝行していこう、って思いました。
―自分事としても捉えているんですね。
実は自分も死にかけたことがあって。
事故で車がひっくり返って。むちうちだけで済んだんですけど。
―それは……不幸中の幸いでしたね。
いつでも死ぬぞ、お前、ってフラッシュバックすることがありますね。
社会人1年目の10月28日。絶対忘れないですね、この日は。
だからこそ、余計に人はいつでも死ぬ、と思えているのかもしれないです。

―仕事をしている中で、印象的だった看取りのケースってありますか?
お一人は、急変して病院に行って、そのまま亡くなられた方。お葬式は家族葬でしたが、職員は呼んでくださいました。それまでしてきたことが、ご家族の信頼につながって呼んでいただけたのかな、と思ってありがたかったです。そこでご家族から、「うちのお母さん、よく清水さんとワイン飲みたいって言ってたよ」って言われて。その入居者さんはワインが好きな方で、「一緒に飲みましょうね!」と話していたのに、結局一緒には飲まなかったんです。それが後悔として残っていて、そういう意味で記憶に残っています。
もうお一人は、ご家族が「生きていてほしい」と延命処置を希望される方で。なにかと「清水さん、清水さん」と声をかけてくださるご家族で、信頼関係も築けていたと思います。入居者さんは90歳近かったのですが、ターミナルのケア方針の面談で、「どうにかならないの?どうしたら元気になる?」と聞かれたことが印象に残っています。
―元気にさせたい思いが強い方だったんですね。
最終的には施設で看取りました。1度入院しましたが、本人が「施設に帰りたい」とおっしゃって施設に戻ってきたんです。それでも元気にしてほしいというご家族の思いはあって、ご家族も葛藤していたんだろうなと感じました。生かしたい気持ちと、穏やかに逝かせたい気持ち。
―ご家族との信頼関係はどうして築けたと思いますか?
なんでだろう……なんにもしてないですよ。僕らが出来ることをやっていただけで。家族がいい人だったから、だと思います。ご家族とコミュニケーションをよく取っていたってことでしょうか。
―コミュニケーションの量でしょうか?
量、かもしれません。あとはその入居者さんが僕のことをよく慕ってくれていて、「清水さん清水さん、チョコレート持っていきな」とか、ご家族の方にも「清水さんはよくしてくれてね。今度清水さんにあげるからチョコレート買ってきてね」みたいな話をしてくれたりとか。
―やはりチョコレートなんですね!
あと、その入居者さんはよく「雪の宿」をくれました。白い砂糖がついた、甘いおせんべい。もらっては、夜にこっそり、その方のところに返してました。笑 きっと、その入居者さんにとってのケアだったのかな、と思います。繰り返しの行動によって、安心感を得る、ということだったのかもしれません。そうすることで、「そこにいていいんだ」と感じていたんじゃないかと思います。
―ご自身のおじいちゃんの話と通じるものがあるな、と感じました。歳を重ねると、人に物をあげたくなるんですかね。
「残したい」という思いがあるかもしれませんね。継承する、じゃないですけど、若い子に残してあげたい、みたいな。
―たしかにそうかもしれません。

―清水さんがターミナルケアで、意識していることってありますか?
いまだに正解がわかんないんですけど、考え続けること、ケアの思考過程を止めないことは意識しています。今介護職5年目で、1年目のときのターミナルケアの知識が、今思うとお前全然だよ、って思うし。そう考えると、5年後の自分が今の自分を見たら、「お前全然だよ」って思うと思うんですよ。まだまだ足りないよって。だからこそ、今の知識量で、チームのみんなと考え続けることかな、と思っています。
―とても大切ですね。特にターミナルケアでは、刻一刻とその方の感情も、状態も変わるので、こちらもそれに合わせて適切なケアを考え続ける必要があります。
ターミナルって、ケアの変更スピードがめちゃくちゃ早いじゃないですか。たどる経過が人によって違うので、昨日はご飯食べられていたけど今日はもう難しい、とか、予測が難しいこともある。だからこそ1日ごとに、極論ですけど秒刻みに変わるものだ、と思って考えていかないといけないと思っています。
―名言です!
こうやってかっこよく語ってますけど、僕なんかより職場の他のメンバーのほうがすごくて。すごいっていうのも、例えば日ごとに状態が変わる方がいたら、介護記録の申し送り機能で「○○さん今こういう状況なんで、こういうケアしていきましょう」ということをそれぞれが、その日の状態を見て発信してるんですよ。それがとてもすごいなぁって思っていて。それがあるから、その日観察して、「あっこういうケアが必要だな」と思ったら、申し送りに書いて発信して、チームで共有して相談して、じゃあこれやっていこうってスピードで決断して、やっていけています。ケアコラボというケア記録のシステムを使っているんですが、これがなければ今のターミナルケアは出来なかったかもしれないです。
―ICTを活用することで、入居者の方の状態変化に迅速に対応できているということでしょうか?
それだけがすべてではないですが、そうかもしれません。あとは、記録内容をご家族に共有できる記録システムなので、見えていないケアが伝わるかなって思っています。なんで介護の価値って伝わらないんだってよく話題に挙がりますが、ご家族はどんなケアをしているかわからないから、いいケアなのか悪いケアなのか、この法人って、この介護施設って大丈夫?というのが、よくわからないと思うんです。でもターミナルケアって、介護記録に残す頻度が高くなる。バイタルサインだったり、表情だったり、呼吸の様子だったり。そういうケアや観察の1つ1つの記録で、ご家族に伝わるものもあるのかなと思って。
―変化をリアルタイムで知れることが、信頼関係の構築にもつながっているのかもしれませんね。

―これからターミナルケアで実践していきたいことはありますか?
もっと死について勉強して、それを伝えていきたいなと思います。これから先、ずっと介護の仕事を続けていくかは分からないけれど、さっき話した通り「いつでも死ぬ」という感覚でいるので、学び続けたいという思いがあります。そして、それを自分だけのものにするんじゃなくて、共有していきたい。死っていうテーマを義務教育で学ぶ機会があるといいと思うんです。死は怖いだけのものではない。死を身近に感じてから死と向き合うんじゃなくて、日頃から向き合うべきだと思っていて、だからこそ自分の生を感じられる、だからこそ今を一生懸命に生きようと感じられると思うんです。そのためにも継続的に学んで、発信していけるようになりたいなと思っています。

―ありがとうございました。これからも継続して一緒に考えていきましょう!

編集後記/おっとっとの件を聞いてから、スーパーでおっとっとを見かけたら清水さんの顔が浮かぶくらい、印象に残ってしまいました。単純に好きなもの、というだけではなく「記憶に残っている味」というのを利用者さんに聞いてみるのもおもしろいかも!と思いました。つねにケアについて考え続ける姿勢に触れ、利用者さんや家族とのエピソードにも納得です。「いつか死ぬではなくて、いつでも死ぬ」という言葉、時々思い返して、自分もつぶやいてみようと思います。

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