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【小学生から遅刻の常習犯】なぜフリーランスを始めたか(前編)

元々「社長になりたい」とか「フリーランスになりたい」とか独立志向があった訳ではありませんが、就職や社会人を意識し始めた頃から、何となくの選択肢としてあったかもしれません。また私のいるIT業界では独立・開業・起業の事例も多いので、情報が集まりやすく、その点もきっかけの一つかもしれませんね。

最初の記事でも書いた通り、学生時代にはその片鱗があった気がしますので、自分自身の情報の整理のためにも、一度学生時代から人生を振り返りつつ、「なぜフリーランスを始めたか」の答えについて自己分析をしてみたいと思います。

小学校時代

皆さんは夏休みの宿題は「先に片付けるタイプ」ですか?それとも「最後に必死になって片付けるタイプ」ですか?私は宿題をやらずに新学期を迎え、何とか逃げようとするタイプでした。理由は忘れましたが、この頃から遅刻の常習犯でした。

中学・高校時代

勉強自体は嫌いではないですが、好きでもない事をするのは嫌いだったので、大好きな理科だけは前のめりで勉強していました。学年全体の順位は中の中くらいだった記憶がありますが、思い出補正があるかもしれません。

高校は普通科に進み、理科以外、特に数学と社会は絶望的な成績でしたが、理数系として生きて行くため、学校が提供していた「苦手や得意を強化するための補習(特別授業という名前でした)」で「数学基礎」という若干屈辱的な名前の授業を一念発起して受けた所、何故か数学に目覚めて、理科と同程度かそれ以上まで成績が急上昇しました。

理科と数学、私のイメージでは戦士と武闘家のレベルがあがり、バトルマスターに覚醒した気分で迎えた大学受験。得意だった理数系の大学は興味が湧かないのでパス。その頃流行っていた某漫画の「プロファイリング」というフレーズに惹かれ「犯罪心理学」を学びたくなり、文系?の心理学に挑戦するも惨敗。浪人してまで心理学を学びたいとは思わなかったので他を探していた所、今度は「コンピュータの専門学校」というフレーズが気になり、高校卒業と同時に大阪での一人暮らしが始まりました。

専門学校時代

正直な話、「専門学校は大学に行けない成績の子が行く学校」という偏見があったので、就職に必要な知識・技術が果たして身につくのかと懸念はありましたが、教師の方々は優秀でしたし、パソコンを使った授業も面白かったですし、何より4年間の学費+生活費を両親に負担してもらっている以上、中途半端な姿勢ダメだという意識が強くあったので、中学・高校自体とは違い、どの授業も真面目に取り組んでいました。

また数学覚醒のおかげもあって、プログラミングはそこそこ得意でしたが、友人の影響でLinuxをいじって遊ぶなど、サーバ・ネットワークの知識も授業外で得ることができたのも、今の知識や技術に繋がる大きなメリットだったと思います。友人選びは大事ですね。

そして2001年当時「Javaができる先輩が初任給で60万もらった」という噂を真に受け、初めて独学のために書籍を購入し、Javaを必死で勉強しました。ですが、どう考えてもデマです。本当にありがとうございました。

ただそれがきっかけとなり、私の就職活動は学校主催のイベントによる企業からのスカウト(学生作品の展示会のイメージ)という形で早々と終了しました。他の学生が授業で習った技術(当時だとASP)で作品を作る中、私だけASP+Java(JSP)でプラスアルファした事が評価に繋がったようで、企業の採用担当の方には絶賛していただき、それもまた自信に繋がりました。

またその後の卒業作品を発表するイベントでは何やかんやで最優秀賞を頂き、副賞でハワイにも行けました。この辺りの「頑張れば報われる」という成功体験は今に活きているのではないでしょうか。

余談ですが、卒業年度の2001年はアメリカで9.11の悲惨な事件があって、予定していたアメリカ本土への卒業旅行が消滅したのを今でも覚えています。ビン・ラディンの事は今も許していません。

新卒時代

そして2002年4月から始まった新社会人・サラリーマン生活。JavaやPHP、サーバ関連も含めて色々と経験・挑戦させてもらった会社ではありますが、以下のような理由で非常にストレスを抱えていました。

  • 社会人3年目になっても月給が20万もない(自分なりに努力しているのにという気持ち)

  • 自分のやりたい気持ちがあっても、上長の許可やなんだかんだと手続き・時間がかかる

  • 8:30始業がしんどい

特に給料については自分のためももちろんありますが、「早くたくさんお金を稼いで、出資してくれた?両親に恩を返したい」という気持ちが強かったです。

そんな事を思っていた私は、転職ではなく「フリーランス」としての独立開業への道を模索します。「まずは転職!」ではなかったのは、サラリーマン3年目だとどこへ行っても同じくらいの給料なのかも?と思った事、またピラミッド型の会社組織では自分のやりたい事がすぐにできないストレスがある事、が理由でした。

最終的に「フリーランスになりたい」思いよりも「早く辞めたい」思いが強くなり、そのまま大した準備をする事なく、エイヤー!と2005年1月からフリーランス「メメントモリ」として独立開業する事になりました。

後編へ続く。

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