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個展を開きたい⑩

一人っ子だったから、遊びはいつも一人だった。

よく覚えているのはぬいぐるみと一緒に布団の中に入ってごっこ遊びをしたことだ。ビーズの入った竜の15㎝位のぬいぐるみは相棒だった。どんな冒険も、戦争ごっこも、物語もその竜が居たことは記憶に濃く残っている。

ウルトラマンの怪獣のソフビも好きだったから、並べては怪獣の軍団を作ったり、戦わせてどの怪獣が強いかを競っていた。好きだったのはナメゴンという怪獣だった。理由は可愛いから。そして自立して立つから戦わせやすかったんだと思う。バルタン星人やカネゴンもその軍団にはいたけれども、奴らは自立して立つのが難しかった。だから2軍。タイラントやレッドキング、ゴモラは1軍だった。


一人で遊ぶのは楽しい。妄想の世界は自由だから。頭の中で空間を自由に作ることが出来るし、好き放題変えることも、広げることもできる。友達がいなかったわけではない。でも一人遊びが何よりも楽しかった記憶がある。
集団での遊びも嫌いじゃない。けどスポーツ、そう野球やサッカーには一切惹かれなかった。三角ベースなんかは後ろで見ているだけ。参加しなかった。参加したくなかった。楽しくなさそうだから。ルールがあってその中で遊ぶのは面白くない。だからルールや決まりごとは自分で作った。
その一つが動画づくりになる。


小学生の時はおもしろフラッシュが好きだった。
開国ペリーやおびたのわさびなんかは秀逸だ。中学に入り、MEGWINを見ることがあった。面白かった。ただゲラゲラ笑えて、毎日のさばるように見ていた気がする。当時はまだYouTubeなんか発展すらしていない時代。高校になってニコニコ動画にどっぷりつかっていた。今はYouTubeが主流だけども、当時はそんなネットの世界だった。


動画に手を出したのは高校生の時。
リュウ動画というものを毎週のように、いや毎日のように撮影していた。当時の携帯電話で、今となっては画質が荒く、見れたもんじゃない。でもたまに見ると、これがまた傑作。初めてとったのはいつものメンバーでサイゼリヤに行った時の動画だ。痩せている。僕がまだ痩せているように見える。

動画の撮影、編集は作品を作る意味で楽しかった。スカイプやメールでメンバーに送り付け、みんなで再生しそれを見る。薄山仁之介+Mというのが僕の所属しているグループ名になる。最高だった。

初詣、航空ショー、航空公園、上野、狭山湖・・・いろんな場所や場面で携帯電話を片手に撮影していた。途中でデジカメを買ってからは、デジカメでの撮影。2009年から2015年までの6年間にわたり動画を作っては楽しんでいた。

中でも好きな動画がいくつかある。

1つはストッキングハザード。下らないという言葉さえも勿体無いほどの動画。ストッキングウイルスが蔓延した世界で、敵を倒していくだけの動画になっている。2部作まで作った。いつものメンバーでの撮影は大抵が真冬だ。夏は暑いし虫がいるということで後半は撮影しなかった。基本的に初詣くらいに集まっての撮影が大学の時は多かった。ストッキングハザードも真冬。しかも朝の9時。狭山湖の公園の芝生に霜が降りていて、皆ジャケットを着て厚着をしないと凍えるような中で撮影した。台本なんか頭の中にもない。その時の思い付きを繋げていくだけ。絵を描くのに似ている。

2つ目はキャンプ動画。中学生の林間学校で行ったキャンプ場にメンバーで行った動画だ。全5本+2本の計7本の動画になっている。これもまた思い出の動画だ。仕事で忙しくて辛い日の夜にみることにしている。疲れが吹っ飛んで最高の精神安定剤になるんだ。

と、まぁこんな感じで動画づくりに熱中していた。編集ソフトはムービーメーカーと無料のソフトを使っていた。そんなに凝った編集は不要だから、無料で事足りた。この経験は仕事で活かすことが出来ている。プレゼン内に挿入する簡易的な動画の編集作業は、リュウ動画に比べたらお茶の子さいさい屁の河童。赤子の手をひねるようだ。

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