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おそらく許してくれる。

九州に帰ってた。

4泊5日の間に、滞在する場所が移り変わったので、忙しかった。

祖父母の家(鹿児島)

祖父母の家(佐賀)

実家

主な目的は鹿児島の祖父に会うためと
両親の様子を確認することだ。

鹿児島の祖父は、去年横浜で会った時に
だいぶ足腰が弱っていた。
また、今年の夏、家族に印鑑や通帳の保管位置、家系図の説明とかしていたらしい。

極め付けは、今年10月に、もし生きてたら87歳の勤めている会社の創業者セレモニーに出席したことだ。
「うちのじーちゃん、年上じゃん…。」と実感。「次に鹿児島行く時が葬式って嫌かも。」と思い、鹿児島にも行った。

実際あったら、思ったよりも元気だった。
なんなら「結婚とか婚約とか、めでたいことの報告で来たのかと思った。」らしい w
ごめん、なんもない w

プレッシャーをかけられた感もあるが最終「気にせんで、好きにすればいい」って感じだったし、「若いうちに外を見とったほうがいい、いろんな経験すると視野が広くなる。」とのことだった。自衛隊→40代で管制官に転職
という経歴もあると思うのだが、今でも英単語がすぐに出てくるし、ロゴ入りのジャンバー着て、鏡でチェックしてから外出するし、1935年生まれにしてはハイカラなのである。
墓参りも出来た。

その後は、祖父母の家(佐賀)に。
こちらの家の祖父のほうが、私が帰省する数日前から再入院しているのである。

母も祖母も表立っては出さないけど、お互いそれぞれ「自分の親が老いて死んでいくのをみるのが辛い。」「ふとした時に大丈夫かなとか考えてしまう。」とか言っていた。
でも個人的には、祖父本人も「そろそろお迎えが近いかもしらん」と笑っていたらしいし、元々私とは関わりが浅かったのもあると思うが、亡くなったとしても、悲しいが多分ショックではない。
そもそも、祖父祖母で一緒に暮らせていて、祖父の体調不良に素直に心配する人がいる今の状況がマジ奇跡。それだけでも幸せなのではと思っている。

そんなこんなでこの場にいない人もいるが、暮らしは続いているので、祖母と洗濯物干したり、畳んだり、食器洗いしたり。お散歩したり。
何より、祖母が張り切って、品数が多く健康的なご飯を用意していた。
昼食は(若干お好み焼き感もあるが)手作りピザまで出てきた。美味しかった。

「ピザは1人やったら食べんやろう。」
「忙しくて、野菜とか取れやらんやろう。」
私のことを想像して、作ってくれたご飯は優しかった気がする。

最後の目的地。実家。
父とは一年半ぶりだった。
実は会う前は怖かった。

思ったよりもよかった。
まあでも掃除機かけたり、ソファ拭いたり。
私も一人暮らしの家、すぐに汚くなるし、人のこと言えんけど、手をかけられている空間ではなかった。

このnoteは私の知り合いも見ているかもしれんから、書かないけど。
私は関東にいて距離を置いているが、話を聞く限り、そこらへんのコミックエッセイなんてマイルドに思えるほど、うちの家は色々ある。私に画力があれば、もはや笑うしかないエピソードを4コマ漫画にしたいなぁと何回か思った。

だから「本当の意味で帰れる場所はない。」
と思ってたし、特に実家に関しては、そうじゃないと言ってくれてはいるが「事実、私が元凶の源かも。」「費用対効果に見合っていない現状だ」と思う気持ちはブルーになる度に出てきて、泣いたりする夜もあった。

今回帰省してみて、みんなそれぞれ時間は流れているし、結構勝手にやってるし、何より「思ったよりも大丈夫そう」だった。

そして逆に「健康にね」とか「身体が1番」とか、友達には「一回心とか身体とか折れると、治るのに大変だよ」など、口々に言われた。
ハウスダストが原因なのか、夜になると毎晩、鼻水&目を充血させている人見たらそうなるよね。

もう少しやってみるつもりではいる。

が、マジでもしダメになっても(家事手伝いは必須だろう…)一年くらいはプー太郎をさせてもらえそうだと、なんだかホッとした。

私は大切にされているんだなと感じた。

一年に1回〜数回レベルにはなると思うし、
私自身、現在のホームは関東で、九州はアウェーになってきつつあるのだが、折を見てまた帰りたい。


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