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#13 最大の壁は自分自身

休職直後を振り返えると、
つらいことが主に2つあった。

つらかったこと

①現実が受け入れられない

不本意な形で休職に入った私は、
最初の1ヶ月半くらいは、ただただ”無”の時間を過ごした。
実家に帰省して、毎日ご飯を食べて寝るだけ。
誰とも関わりたくないし、ネットも遮断した。

たまに思い出すことは、プロジェクトの上司や同僚への苛立ち。
つらかった状況や嫌な瞬間など、延々と当時のことを思い返していた。

休職したときにいたプロジェクトに、気持ちが縛られていたのだと思う。

思い返しては、
私がこうなったのは、あの時あの人が動かなかったからだとか
すべてを他人のせいにした。

自分のことには目を向けず、周りにいた人のことばかりを考えていた。

他責思考になるのも仕方ない。
無意識に、自分に問題があることをわかっているけれど、怖くて、
自分の選択や行動に目を向けることができない。

そして、
休職に対する考え方が、自分自身を苦しめた。

休職に入る前の私は、”休職”は負けた人がなるものだと思っていた。
かなり偏った考え方だし理解不足も甚だしいが、実際に思っていた。
そう考えることで、苦しい状況でも踏ん張れるよう自分を律していた面もある。
結果として、自分が考えていた”負けた”側になった。
自分が認めていないものに自分が当てはまっている。
到底信じがたい。


②自分の価値観や意志が分からない


今回の結果になる前に、恐らく、軌道修正するタイミングはあったはずだ。
だが、できなかったのは”自分自身を知らなかったから”に過ぎない。

自分のことを理解していれば、
要所要所で、自分の価値観やその判断基準にのっとり、適切な選択ができていたと思う。
価値観や判断基準はあったかもしれないが、
それらをおざなりに、また場当たり的に対処してきたせいで、
自分自身で苦しい状況を作りだし、起きられなくなるまで自分を追い詰めてしまった。

自分と向き合わずに生きてきたツケと言ってもいい。

どういう状況は自分の意志に反するから避けるとか
この状態になれば、自分の判断が鈍るから避けるとか
いくらでも判断軸はあるはずなのだ。

自分のことは自分しか知ることができない。

話は逸れるが、
自分がけが等したときの痛みや、痛さの度合いは自分しか分からない。
他者は知りえない。
仮に似たようなけがを経験していたとしても、
必ずしも同じ痛みや度合いで伝わっているかといえば、その可能性は100%ではない。
結局、自分の痛みや痛さの度合いは自分しか理解できない。
他人はその痛みを予知してサポートしてくれない。
的確に、正確に他人に申告する以外に方法はない。
つまり、自分が自身を知るべく観察し、考え、評価するしかない。

自分と向き合うと決める

1ヶ月半ほど、不毛な時間を過ごしていたとき、
ふと、あることに気がついた。

いくら当時の状況を思い返して、苛立ちを募らせても、
二度とそのプロジェクトで働くことはないし、
二度とその時のチームメンバーで働くことはないし、
二度と同じ状況は起こらないと。

いまの状況に共感してくれる人はいても、
他人は自分の現状を変えることまではしてくれないし、
お膳立てしてもらえるわけもない。

つまり、自分の現状を変えられるのは、唯一自分だけだなと。

過去に縛られて、過去ばかり見ていても、
現状は何も変わらず、時間は溶けていくだけだとようやく理解した。


この時、一人で海にドライブした帰り道、
いつも通り、過去のプロジェクトへ苛立ちを募らせていたら、
ふとこの考えがふってきた。
(考えが煮詰まって、シャワーを浴びているとき、
ジャストアイデアがふってくるのと同じ原理かもしれない。笑)

情けなさとか、惨めさ、愚かさみたいな気持ちが溢れてきて、
車を停めて、咽び泣いた。

やっと今の自分を理解しようと思えた瞬間だった。



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