人の目を気にせず自分らしく生きる

人間は間違いを犯す、恥ずべき事をしてしまう無知な生き物です。

京都には多くのしきたりがありますが、無知な人間が間違わないように、恥ずかしい思いをしなくてすむように、という優しい見守りの心からきているもので、間違った人を馬鹿にしたり非難するためのものではありません。

人の目があるということは、自分の無知に気づくために、自分の恥ずべき行為に気づくために、自分のことに自然と意識を向けられるようになるので、自戒に繋がります。

しきたりを作って、目を向け合うということの本来の目的は、自分の中に間違いを気づいて反省する心(慚愧)を起こすことです。

目を向け合う事を、自分の慚愧の為に使うなら良いのですが、自分ではなく相手の悪いところを見つけることに一生懸命になってしまうことも恥ずべき行為です。

道徳とは、人としてしてはいけないこと、しなければいけない事の真理ですが、時代や慣習によって生まれたしきたりのようなモラル(これは一目おく必要がありますが…)、個人の主観が多数集まって生まれたモラルなど、人の目によって生まれたモラルもあります。

人の目は、あくまで人によるもので、間違うこともあるという事をしっかりと理解し、それに振り回される事なく、自分の間違いに気づくための戒めとして活用しながら、人から言われて直すのではなく、まず自分で慚愧し、自分の言動に気をつけながら自己責任で道徳的に生きて行く。
それが本当の意味で、「人の目を気にせず自分らしく生きる」ということだと思います。
また、そのような人は、人間は間違うものだということを理解しているので、自分の意見が正しいと思うこともなく、他人を簡単に非難したりはしないので、さらに魅力的な生き方だと思います。

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