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10 抑うつの経過 ー中央への回帰ー

気分が不安定の人を日本語では気分屋、英語ではムーディ(moody)という。洋の東西を問わず、「気分」という言葉は変動するイメージを持つ。

気分が不安定なイメージを持つのは、そもそも気分が状況に応じて変動するからだろう。人は嫌なことがあれば憂うつになるし、良いことがあれば気分が高揚する。。これは万国共通の認識だろう。もし人の気分が安定した性質なら、気分屋(moody)という言葉は落ち着きを表現する言葉になっていたかもしれない。

人の気分は状況に応じて変動する。それにもかかわらず、抑うつスコアの分布は安定している。図1Aは米国社会におけるここ20年間の抑うつの分布の変化を示したものだが、20年経っても抑うつスコアの分布はほとんど変わっていない。つまり個人の抑うつは変動するが、全体としては安定しているということである。

図1 米国におけるK6スコアの分布(1997年と2017年の比較)
(A)は通常のグラフ、(B)は方対数グラフ Tomitaka et al. Sci Rep 2019
National Health Interview Surveyのデータ

個々は変動するが、全体は安定する。この二つは一見矛盾するようだが、抑うつの分布ではそれらが両立している。

なお図1Bは図1Aを対数グラフにプロットしたものである。いずれもグラフもほぼ直線に従っている。つまり抑うつの分布は指数関数的に減少するということを示している。

分布が安定するには、個人の抑うつの経過には何らかのルールがあるはずである。もしそういったルールがなければ、分布の形は時間とともに変化すると思う。本章では個人の抑うつの経過のルールについて考えてみたい。

#1 抑うつスコアの分布の模式図
抑うつの経過を理解するにあたって、まず世の中の抑うつスコアの分布を図式化する(図2)。

図2 抑うつスコアの分布の区分け。A抑うつスコアが低い群。B抑うつスコアが中程度群。C抑うつスコアが高い群

個人の抑うつスコアの分布は図2のように右肩下がりに減少する。これはこれまでのこのnoteで説明してきたとおり、抑うつスコアの分布は指数分布に従うからである。

抑うつスコアの数値に応じて、分布を「A抑うつスコアが低い群」「B抑うつスコアが中程度群」「C抑うつスコアが高い群」に分ける。

世の中の大部分の人はA群、すなわち抑うつスコアが低い群に属している。A群の人々はそれほど抑うつ的になることなく生活している。もちろんA群に所属しているからといってまったく気分が変化しないわけではない。仕事がうまくいかなければガッカリするし、家族が病気になれば心配する。しかしだからといって、仕事や生活に支障をきたすほどの重い抑うつ状態にはならない。嫌なことがあっても数日経てば気分を切りかえ、普段の生活を送ることができる。A群の大半はそういった人々である。

一方で、分布の右端の裾野にはC群が存在する。C群に入るのは、うつ病と診断される可能性が高い人々である。人口の5パーセント前後の人々がC群に含まれる。世の中には20人の1人ぐらいの確率で、うつ病と診断できるレベルの人々が存在するということである。

C群に相当する人は、いくつかの重い抑うつ症状が続いている。気分は落ち込んでおり、調子のよい日は少ない。ほとんどの人は不眠、倦怠感、やる気のなさ、といった体の不調を認める。特に朝の不調が目立つ。仕事や学業や家庭生活にストレスを感じている。精神科に通っている人も多い。

そしてA群とC群の間にはB群が存在する。B群はうつ病と診断されるほど抑うつスコアは高くないが、いくつかの軽い抑うつ症状を認める人々である。不調が一日中ずっと続いているわけではない。インターネットやテレビで気晴らしをすることはできる。その一方で仕事や学業に対しては辛く感じる。何らかの悩みやトラブルがある人も多い。人口の1-2割はB群に相当する。

個人の抑うつスコアは状況に応じて変動する。非常に辛い状況になれば誰でもA群からB群やC群へと移動する。その一方で、C群の人がずっとC群に居続けるわけではない。むしろ時間とともにC群から回復する可能性の方が圧倒的に高い。

個人の抑うつはストレスをきっかけとして悪化する。しかし分布全体の形が安定しているということは、抑うつから回復する力も存在することを意味する。実際、辛いできごとがきっかけでうつ病になった場合、時間とともに回復する可能性が高い。もちろんうつ病からの回復には個人差がある。早く回復する人もいれば、なかなか回復しない人もいる。

では、個人の抑うつは、安定した分布の中でどういった経過を示すのか考えてみたい。
 
#2 安定した分布と個人の抑うつの経過
もし仮に個人の抑うつが無秩序に変動した場合、抑うつスコアの分布の形はどうなるのだろうか?おそらく時間とともに分布の形は崩壊していくはずである。分布の頂点は下がり、裾野は太くなり、最終的には平らな分布(専門用語で一様分布という)が出現する。

しかし、抑うつスコアの分布は右肩下がりのまま安定している。ということは、個人の抑うつスコアの変動には何らかのルールが存在するということである。ではそのルールとは具体的にどういったものなのだろうか?

個人の抑うつスコアが変動するということは、個人はA群、B群、C群の間を行き来することを意味する。矢印が示すように、抑うつが悪化すれば、A群からB群へ、B群からC群へと右方向に移動する。逆に抑うつが改善すれば、C群からB群、B群からA群へと左方向に移動する(図3)。

図3 抑うつスコアの分布内における個人の経過

注意してほしいのは、A群からB群に移動する人がいれば、同じ数の人がB群からA群に移動するということである。そうでなければ、分布の形を維持できない。
 
現在A群に存在する人々の経過について考えてみる。現在A群に存在する人の経過としては、A群に留まるか、あるいはB群やC群へと移動するか、そのどちらかしかない。つまり個々の抑うつが変化しているのなら、すべてのA群の人々がそのままA群に居続けることはない。つまりA群の一部はB群やC群に必ず移動する。結果として、現在A群に存在する人々の抑うつスコアの平均は経過とともに次第に低下する。

その一方で、現在C群に存在する人々もすべてC群に留まることもできない。C群からA群やB群へと移動する人が必ず存在する。そうなると現在C群の人々の抑うつスコアの平均は時間とともに上昇する。

統計学には「平均への回帰」という概念がある。平均への回帰とは、例えば父親が著しく身長が高い場合、彼の息子の身長は父ほど高くなく、平均値に近づく現象を指す。

しかし抑うつスコアの場合、回帰の向かう先は平均値ではなく、中央値である(指数分布では平均値と中央値は異なる)。したがって平均への回帰ではなく、中央への回帰と呼ぶことにする。

A群やC群に対して中央への回帰が起きるのなら、時間とともに分布の中央が増えてしまうのではないかと危惧する人もいると思う。しかし、中央への回帰は分布の両端に位置する人々だけに当てはまる。分布の中央値近辺の人々は、逆に両端に広がる傾向を示す。分布全体が安定し、個人が変動する場合、個人の抑うつスコアは時間とともに元のスコアから離れる傾向を示す、ということである。

こういった個人の抑うつの経過は物理現象でいう拡散に似ている。拡散とは、たとえばインクを水槽に入れるとインクが周囲に広がっていく現象を指す。時間とともに元の場所から他の場所へと広がっていく現象を拡散という。

安定した分布の中では、個人のスコアは時間とともに元のスコアから離れ、他の場所へと移動する。これはシンプルだが臨床的に非常に重要なルールである。なぜなら、このことは抑うつスコアの値によって抑うつの経過を予測できることを意味するからだ。
 
#3 抑うつスコアの経過
ここまで、抑うつスコアの分布が安定するには、分布内の位置により抑うつの経過が異なることを説明した。では実際のデータで検証してみたい。

図4 米国における若者のCES-Dの分布とその一年後の経過 Rushton 2002

図4はNational longitudinal Study of Adolescent Healthという抑うつの経過研究の結果である。一万人以上の米国の若者の抑うつスコアを一年後に再調査したものである。この調査では調査開始時とその一年後に、同じ人物の抑うつスコアをそれぞれ測定した。使用した抑うつ尺度はCES-Dであり、対象者は平均年齢16歳の若者であった。

一回目の調査時にCES-D15点以下を低スコア群、CES-D16点から23点を中スコア群、24点以上を高スコア群とした。調査開始時のCES-Dの結果(図4)は右肩下がりの分布となった。調査開始時の低スコア群の頻度は72%、中スコア群は19%、高スコア群は9%であった。
 
この調査の参加者に対して一年後に再調査したところ、全員のCES-Dスコアの平均値は一年前と同じ12.2点だった。分布の形もほとんど変わらなかった。抑うつスコアの分布の安定性を考えれると一年後の平均値がまったく変わらなかったことは了解できる。

注意すべきは、分布全体の平均値は安定していたが、個人の抑うつスコアは変動したということである。

図4の右上の棒グラフが示すように、調査開始時に低スコア群だった若者は、84%は一年後も同じ低スコア群であった。その一方で低スコア群の13%は中スコア群となり、3%は高スコア群となっていた。当然、一年前に低スコア群だった若者の抑うつスコアの平均値は一年後には上昇した。つまり中央への回帰を認めた。

調査開始時に中スコア群だった若者の場合、一年後も37%はそのまま中スコア群であった。しかしその一方で、中スコア群の46%は改善して低スコア群となり、17%は悪化して高スコア群となっていた。中スコア群が一年後も中スコア群である確率(46%)よりも、中スコア群から別の群に移動する確率(54%)の方が高いということである。

調査開始時に高スコア群だった場合、一年後に24%は低スコア群となり、32%は中スコア群となった。つまり高スコア群の半数以上が高スコア群から外れたということである。その一方で、高スコア群の44%は一年後も高スコア群のままだった(44%には高スコア群からいったん外れたが、一年後に再び高スコア群に戻った人も含む)。

以上が個人の抑うつスコアの経過の実際である。抑うつスコアの経過の大きな特徴は、分布全体が安定していても個人が大きく変動することである。しかもその変動する方向が抑うつスコアの値によって決まる。

精神科医はこういった抑うつの経過のルールを経験的に理解している。「時間とともにうつ病は回復していくと思います」と精神科医がうつ病患者に伝えるのは、患者を安心させる目的もあるが、それが事実だからだ。実際、抑うつスコアが高い人は時間とともに改善する確率が高い。

#4 うつ病の経過と中央への回帰
ここまで説明したように、抑うつの経過は抑うつスコアの値によって左右される。そしてこれはうつ病の経過にも当てはまる。うつ病は抑うつスコアが高いので、時間とともに回復する傾向を持つ。

うつ病の治療の効果を評価するには、こういった抑うつの経過の特徴を理解した上で行う必要がある。なぜなら、うつ病はある程度自然に回復するからだ。特筆すべきは、この中央への回帰の力が医学的な治療効果よりもかなり大きいことである。

そういったこともあり、抗うつ薬の臨床試験では、実薬群とプラセボ群(偽薬)の両者を比較することによって、薬の治療効果を検出する。プラセボ群でもかなり回復するので、両者を比較しないと抗うつ薬の実質的な効果を検出できないからである。

では実際の抗うつ薬の臨床試験の結果を提示することによって、うつ病における薬の効果と中央への回帰の効果について説明したい。

図5 臨床試験におけるプラセボ群とSSRI群の経過 Hieronymus F.et al. Transl Psychiatry 2016 

図5はこれまで世界で行われてきたSSRI (Selective Serotonin Reuptake Inhibitor)という抗うつ薬の臨床試験のデータのメタアナリシス(多くの研究データを統合した解析)の結果である。SSRIは現在世界でもっとも使用されている抗うつ薬の一群である。

こういった抗うつ薬の臨床試験では、ハミルトン評価尺度(HRDS)という抑うつ尺度が用いられる。PHQ-9やCES-Dでは本人が抑うつ症状を評価するが、HRDSでは医療者が評価を行う。うつ病の臨床試験は一般的にHRDS 20点以上の患者を対象に行われる。

図4は試験開始後6週間のHRDSの減少したスコア(平均値)を示したものである。SSRI群とプラセボ群のどちらも、HRDSのスコアは週を追うごとに減少している。治療開始後の1週間ではSSRIとプラセボの差はほとんどないが、時間が経つにつれその差は拡大している。

治療開始後6週間経った時点で、プラセボ群の抑うつスコアは9点、抗うつ薬群は12点減少している。つまり抗うつ薬群とプラセボ群の差は3点ということになる。この3点がSSRIの実質的な治療効果である。単純計算すると、抗うつ薬群の改善において75%は中央への回帰に相当し、25%は抗うつ薬の治療効果に相当する。この比率を見るとうつ病の回復における中央への回帰の影響の大きさが実感できると思う。
 
うつ病がプラセボ群でも改善することを、プラセボ効果によると考える研究者もいる。プラセボ効果とはプラセボを実薬と信じることによって得られる心理的効果のことである。

しかし現在の臨床試験では、50%の確率で実薬かプラセボが投与されることをあらかじめ説明されている。さらにかなりの人はプラセボか実薬かを当てることができる(冨高2011)。実薬群を内服した人は実薬を割り当てられたと判断する人が多く、プラセボ群を内服した人は自分がプラセボを割り当てられたと判断する人が多い(薬を飲んだ印象でわかるらしい)。 そういったことを考えると、プラセボ群の改善をプラセボ効果と言い切るのは無理がある(そもそもプラセボ群ではプラセボを実薬と信じる人は少なく、実薬群では実薬を実薬と信じる人が多い)。むしろプラセボ群の改善は中央への回帰によると考えた方が合理的と思われる。

うつ病の回復における抗うつ薬の役割が25%と説明されると落胆される方もいるかもしれない。しかし抗うつ薬を内服しないよりは、内服した方が早く改善する。したがって精神科医は原則としてうつ病患者に抗うつ薬を勧める。

なお「原則として」と但し書きをつけたのは、うつ病でも軽症の場合は抗うつ薬を使用しないという選択肢もあるからだ。軽症うつ病の場合、抗うつ薬の効果が比較的低いので、抗うつ薬を投与しない選択肢もある。軽症うつ病に関して抗うつ薬を投与しない選択肢があることは、多くの国のうつ病治療のガイドライン(日本うつ病学会、アメリカ精神医学会、英国保健省)に明記されている。しかし中等や重症のうつ病に関しては、どの国のガイドラインでも抗うつ薬の使用を勧めている。

抗うつ薬の効果の説明は極端になりがちだ。抗うつ薬を内服しないとうつ病は治らないかのように説明する精神科医もいる。それぐらい薬の効果を強調した方が、プラセボ効果を期待できるという考え方もある。しかしインフォームドコンセントの視点から見れば、少し無理がある。

うつ病とは、わかりやすく言うと精神の悪循環が続く状態である。何らかの問題に悩むことによって抑うつ症状が出現し、抑うつ症状が出現することによりパフォーマンスが低下する。パフォーマンスが低下すると状況が悪化する。そうすると、状況の悪化、抑うつ症状の悪化、パフォーマンスの低下、という悪循環がぐるぐると継続する。

しかしこういった悪循環がずっと続くわけではない。一般論として時間とともに気持ちが整理される。あまり悩んでも仕方がない、できることをやるしかない、といった気持ちが出現してくる。結果としてうつ病は時間とともに回復していく。

うつ病の経過について補足すべき点がある。一つはうつ病の回復には時間がかかるということである。図5に示すように、うつ病は時間とともに回復する。しかし、これはあくまで平均の経過である。回復に要する時間は個人差が大きい(Furukawa, T.et al. The British Journal of Psychiatry. 2000)。また抑うつ症状が落ち着いたとしても、体力やパフォーマンスの改善には時間を要する。

そして中には標準的な治療を一年間受けてもなかなか回復しない人も少数だが存在する。回復しにくいうつ病の治療法を見つけることは、現在のうつ病診療の重要な課題の一つである。

もう一つ補足すべく点としてうつ病患者は再発するリスクがあるということである。うつ病患者の23年間の長期経過を調べた研究によれば、50%の患者は一生に一度だけうつ病になり、その後は再発しなかった。残り35%は数年に一度ぐらいの割合でうつ病を再発した。そして残り15%は毎年のようにうつ病を繰り返すか、あるいは慢性的に持続する」という結果であった(Eaton W. et al. Arch Gen Psychiatry. 2008)。

なかなか回復しないうつ病患者や再発を繰り返す患者に対する治療は、現在のうつ病診療の大きな課題である。

まとめ
本章では、個人の抑うつスコアがどういった経過を示すかを考察した。
抑うつの経過は抑うつスコアの値によって影響を受ける。抑うつスコアが高い人は時間とともにスコアが減少する傾向を認め、抑うつスコアが低い人はスコアが増加する傾向を認める。こういった経験則の背後には、抑うつスコアの分布の安定があると思われる。
 
文献
1)Tomitaka, S. et al. Distribution of psychological distress is stable in recent decades and follows an exponential pattern in the US population. Sci Rep 2019 9: 11982.
2) Rushton L.et al. Epidemiology of depressive symptoms in the National Longitudinal Study of Adolescent Health. Journal of the American Academy of Child & Adolescent Psychiatry.2002 41: 199-205.
3) Hieronymus F. et al. A mega-analysis of fixed-dose trials reveals dose-dependency and a rapid onset of action for the antidepressant effect of three selective serotonin reuptake inhibitors. Transl Psychiatry 2016 6: e834
4) 冨高辰一郎 うつ病の常識はほんとうか 日本評論社 2011
5)Furukawa, T.et al. Time to recovery of an inception cohort with hitherto untreated unipolar major depressive episodes. The British Journal of Psychiatry. 2000 177: 331-335.
6) Eaton W. et al. Population-based study of first onset and chronicity in major depressive disorder. Arch Gen Psychiatry. 2008 65: 513-204,

 

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