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しあわせのパン
わたしの好きなパン。
それはまず、匂いがいい。
むしろ、その匂いをいちばんの楽しみにしているとさえ思う。
かぶりつく前、それがどんな大きさのパンであったとしても、両の手でふわっと、でも落とさぬようにしっかりと、パンを包む。
ちょうど口と鼻との間くらいの高さに構え、
ワクワクも高まったところで思い切り鼻から息を吸う。
パン屋さんに入った時、あるいは選んだパンをひとつずつ紙袋に入れてもらい渡された時。
ああなんていい香り、とすでに味わってはいたけれど、なんのことない。
わたしはここだよ!と言わんばかりに、まあるい香りがばぁっと開いてくる。
遠慮しなくてもなくならないよ、好きなだけ嗅げばいいよ!とでも言われているような気持ちで、
贅沢に開かれている香りに浸る。
2、3度香りを十分にいただいたところで耐えきれず、吸う息に間髪入れずばくっ!と頬張る。
こんなふうに豊かに香りを湛えるパンの場合、少しずつ手でちぎりながら食べるなんてのは御法度だ。
かぶりつく時にはまた、鼻から感じる香りと、口の中全体にじわぁっと広がる甘みと香りとに耐えきれず、
眉は下がり、口角は上がり、しあわせそのもの、の表情になってしまう。
菜食生活を始めた時、乳・卵なしの美味しいパンを焼けるようになりたい!と息巻いて、
有機栽培の全粒粉、ドライイーストなどを揃えた。
時間と気持ちにたっぷり余裕のある休日の午前。
レシピ通りしっかりこね、発酵も十分にさせてパンを焼いたことがあった。
出来上がったパンはもちろん美味しかったけれど、いつものように、ほくほくしたしあわせ〜な気持ちを運んでくれるとびきり美味しいパン、、とは言い難かった。
その後もいくつかのレシピを試してみたけれど、やっぱりしあわせのパンには辿り着かなかった。
私の諦めがよすぎるということもあるのだろうけど、
美味しいパンを焼けるようになるまでの道のりの長さは、ほんの数回のパン作りで十分に知った。
しかし、自分の手でパンをつくってみて知ったことは、他にもある。
素手でパンをこねる時。
忘れかけていた子ども心を不意に引き出されてしまったかのように、
夢中になって力を込めて生地に向き合う高揚感。
40分ほどしっかり寝かせた生地が、その工程に期待した通りにぷっくりと、
そのカラダを膨らませて冷蔵庫から現れたときの愛おしさ。
発酵した生地を触る時の、むっちりとした感触にこぼれる笑み。
切った生地のかたちを整える時、思わず湧いてくるちょっとした遊び心。
ひとつだけ、ちょっと変わった形にしてみようか。ナッツやフルーツを乗せちゃおうか。
小麦、水、塩、イースト菌、、、素材を使って私がおいしいパンをつくる!つもりでいたはずなのに、
素材がみせる変化や感触が、それはもう、私を飽きさせることなく楽しませてくれたのだった。
パン作りの奥深さと愉しさを知ってまた、すばらしい素材たち、そしてそれらと向き合い、おいしいパンを生み出すひとたちへの感謝が溢れる。
何度目かのパン作りは、きっとまたいつか。。
明日は大好きなパン屋さん、あいてるかしら!
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