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2020/04/24

今日,

人間は誰かを観察することにより本能にとどまらない行動様式を獲得する

そして

人間は合理主義をも超えてゆく存在である

という考え方に触れました。

AIやロボットが生活を支え,世の中を満たしてゆく今,人間である我々はどういう部分がAI・ロボットと違うのか。
何が我々を人間たらしめているかを再認識し,「我々にしかできないこと」である教養・歴史・文化を大切にする心を養いたいと思うのでありました。

私の趣味の一つに,音楽を聴くことがあります。
生演奏の音源を聴くとき,そのアーティストに特有のグルーヴ感等を感じることがよくありますが,これも人間にしか表現できないものだと思います。
学習できる機械は,既に存在している誰かや何かの行動様式を模倣できます。最近では楽曲を創作するAIも出てきたようです。
ではおなじ創作者であるAIと生身の人間の違いは何かというと,それは人間が「個人的経験」と,各々で異なる「個性(性格特性など)」を有しているという部分だと思います。
(付け加えると「個人的経験」はその人の個性をさらに形作っていく材料であるとも私は思います。)

″無個性な″AIは(必要と判断され提供された学習内容をもとに)常に最も合理的で効率的な解釈・判断を行います。
一方で,個性は時に人間の認識を歪め,物事に対して感情に任せた(合理的でない)解釈をもたらすこともあります。
一意に解の定まった物事については正解を選ぶべきですが,もし解のない問題に直面したとき,一種類の答えしか出せないAI・ロボットに対し,人間は多様な解答を示す事ができます(そしてそれを互いに認め合うことが努力次第でできます)。
これこそが「個性」の生み出す産物であり,人間とAI・ロボットを区別する決定的な要因の一つであると私は考えます。

人格のあるロボット,AIに人間と同じように生活してもらったらどのようになるのか(個性を獲得するのか,個体によってステータスが変わるのかなど)興味深いところではありますが,我々は倫理の壁を越えてはならないと思います。
知的好奇心を満たすための娯楽として弄ばれた経験のある人間の皆さんは,肯けるのではないでしょうか。

何はともあれ,お身体ご自愛ください。近々壺もやります。

それでは。

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