#ミスiD2021

私のアイドル活動は高校一年の冬に始まり、今日までの約7年間、4度のグループ変遷、ソロ活動、1度目のミスiDなどを経て、あらゆることをやってきました。

活動変遷(より詳細→ https://collections.id/tsukihi/ )
1.熱量と熱狂、多幸感と笑顔、激しい体育会系パフォーマンスを極めた「RYUKYU IDOL」
2.AKB48に魅せられた社会学者のプロデューサーのもと、バラエティ活動も盛んに行い、ファンと親しい距離だった「PIP(Platonics Idol Platform)」
3.サブカル的でアイドル文化を俯瞰的にとらえた芸風のソロ活動「もかろんちゃん」
4."ライブ活動"以外のアイドルのあり方を垣間見せてくれた「本とうたた寝。」
5.楽曲派の「RAY」と、個人の夢を運営方針やグループの規模にとらわれずに叶えられる「collections」という仕組み

センターもエースも干されも経験したし、今の私からは想像しにくいかもしれませんが1〜3ではいじられキャラでした。
1度目のミスiDでは、そうしたいじられキャラに押しやられてしまっている「私がなりたい私」をどうにか出していくこと、そしてアイドルとミスiD的活動を両立できないかを考えて活動していました。

こうして振り返ってみると、かなりの"アイドルとしてのパターン"を網羅してきたように思います。

今、明日のミスiD2020卒業式を前に、アイドル、ミスiDの文化、双方を見渡して感じたことを書いていきたいと思います。


昨今のアイドルの「アイドルらしさ」や「男性の欲望」に対するアンチ的振る舞いと、それらへの「アイドルなのに◯◯してる」という評価には、正直もう食傷気味です。漏れ出た恋愛事情についてファンに寛容を求めることや、祝福しないファンは大切に思っていないファン、という空気にも違和感があります。
確かにフェミニズム的にはそれは"女性の解放"だろうし、それを受け入れられない男性は未熟かつ権威的、ということになるのかもしれないけど、アイドル文化はその本態として、そういったフェミニズム的文脈を"横に置く"から面白いのだと思います。
そういう"正しすぎる"世界とは違う男女のあり方、人間関係があると見せてくれるから楽しい。
今、私は女性アイドルー男性ファンの関係を前提として話していますが、LGBTQ+含めた他のどんな組み合わせだって同じことが言えます。
さまざまな意味で不公平で、非対称で、不平等な、だけどどこかに聖性がある、尊い関係というのがあると私は思っています。


このご時世、「私らしく生きる」は転化して、「他人の人生に口を出すな」「周りの言うことなんて無視すればいい」という正しさを作り上げてしまった。
「あなたはそのままでいい」「自分の人生を好きに生きればいい」そういった言葉でアイドルは肯定をするけれど、その世界に他者はどうやって存在しているんだろう?また、批判やたしなめに対する「嫌なら見なければいい」「ありのままの私で肯定してくれる人が推してくれたらいい」というスタンス。
それらはあえて対比するならアーティストの生き方で、アイドルの生き方(特定の誰かではなく、みんなに好かれるという"異常"な生き方)ではないように思います。だから今、その"異常"な生き方こそが作り出す、熱量や面白さがどんどん減っているんじゃないかと思います。


私がなりたいのはみんなにウケるキャラクターではないし、特定の職業でもありません。
私は、私を変える仕組みをつくりたい。
いろんな形になり続けたい。何かへのアンチとしてではなく、周囲への反発とかでなく、変わっていきたい。
私のアイデンティティに、大人への怒りも社会への不満も、そして孤独も特段必要ない、と言えるよう。


私はずっと、自分の泥沼思考パターンは家庭環境のせいだと思ってきました。そういった呪いの矛先が人それぞれにあることでしょう。そこへ周囲からの「あなたは悪くない。その呪いは正当なもので、あなたはそのままで十分愛される。」、そんな寄り添うような言葉があったかもしれません。
しかしそういう言葉こそが新しい呪いを生み出してしまう。きっとみんなも気づいている。私は私だと叫び、好きなように生きると宣言し、自分の感情を正しいものと絶対化してTwitterでバラまいても、何も埋まらない。そう気づいているのに、その狭間で泣きながら、また何かを曝け出すことに必死になっている。環境を呪う限り、自分への呪いは解けない。それもわかってる。誰かからの好意を受けても、アイドルになりファンに好かれても、埋められない。わかってる。でも埋められないなら呪うしかない。どうしたらいい?

私はミスiDをそういった呪いのジレンマ、今まさに、私が抜け出そうとしているそのジレンマの場から、次の場に移したい。
きっと答えはシンプルで、単純に、本当に単純に、自分以外の「自分をまるっと肯定してくれない」他者が必要、ということ。

今の自分を、呪いと一緒にいつのまにか否定して、依存させてくれないまま、変えてくれる体験。
呪いを解く目的で集めた人や物やステータスは、呪いを解くことができない。だから"本当の私"を曝け出さなければ始まらない、そういう思考自体がきっと落とし穴で、呪いが解けない限り動けないなんてことは絶対にない。
世界があなたを受け入れる方法はいくらでもあって、「全てを受け入れる」以外の受け入れ方もきっと無数にあるんだと思う、たぶん。

だから、環境を呪うことに知らず知らず疲れている女の子に、もう呪わなくていいと声をかけたい。よく呪ったね、と言ってあげたい。
それがどれだけの労力を要するか、自分を呪うことと同等の苦しみか、他でもない私自身がいろんなものを呪ってきて、十分すぎるほどに知っています。今でも呪いは解けていません。
しかし、私は決めています。これから先、呪っていない自分に気づいた時には、許してあげると。


アイドルはみんなに好かれる職業ですが、それ以上にみんなを好く職業です。
私は女の子に伝えたい。何らかの抑圧からの解放だとかを理念に生きていく必要はないし、"世界に反発してあるがままに生きる人間"だとかを神様にする必要はない、と。
そして何より、自分を神様にする必要はないのだと。
それが私の目指す、アイドルとしてのあり方です。概念ではなく、意志で存在する、アイドル。


もっと簡単に人を頼り、他人について好きに語り、他人から好きなように語られる。無責任にアドバイスされ、反発しながら確かにそうかもと思う。泣いたら「泣いてもいいんだよ」と同じくらい「メソメソするな」と言ってもらう。無意味に支えられて感謝して、勝手に望まれて偶然に応えて、自然に裏切って理由なく与えていく。


明日の私は、私が決めない。
きっと私は、私がなりたいようにならない。
でも主人公は私で、そうやって幸せになっていく。

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