見出し画像

備忘録#6

ずっと気になっていた映画、ようやく見る覚悟が出来たので見ました。

█「ミッドナイトスワン」

重たいテーマでした。トランスジェンダーの女性と育児放棄にあっていた親戚の少女が共に生活をするお話。

広島に住む親戚の少女(一果)が東京に住むトランスジェンダーの女性(凪沙)の元に来る場面から始まります。最初こそ一果を突っぱねる凪沙でしたが、共に暮らし、親子の様な関係で過ごす中で、お互い心を近づけます。そして一果も凪沙に心を開きます。物語の中で一果はバレエに興味を持ち、バレエの才能を開花させていきます。「一果の為に」と懸命に動く凪沙と実の母親の間で揺れ動く一果。親ってなんなのか、愛ってなんなんだろうかと強く考えさせられる物語です。そしてジェンダーの問題、現実についても、受け止めきれるか不安になる程のエピソードが沢山でした。

残酷な現実を見ました。女性になる為に凪沙はホルモン注射を打ち、副作用の影響で心も体もボロボロになります。けれど戸籍上も完全な女性になりたいと思い、手術を受けます。何にしてもお金がかかるし、精神的な負担も大きい。凪沙は性転換手術の術後、アフターケアが出来ておらず、まともに1人で動けなくなってしまいます。物語の序盤で凪沙の「なんでわたしが」というセリフがあったのですが、このセリフがいろんなところに繋がってきます。ただ自分の心の思うように生きたいだけなのにどうしてこんなに苦しまなければならないのかと。そして凪沙だけでなく、凪沙の周りのトランスジェンダーの生き方や待遇、ポロッと彼女たちのこぼす「アタシたちは」から始まる言葉一つ一つが生々しくて、見ていてとても苦しくなりました。

「最期の冬、母になりたいと思った」とあります。
将来に希望を持つのは、どんな立場の人間でも出来ると思います。バレエ教室の先生が一果に可能性を見出したように。凪沙は一果の可能性を信じ、自分の生き方を変えてまで一果に愛を注ぎます。見返りなんてものは求めず、ただ只管に尽くしてあげたいという思いこそ、無償の愛であり、親なのではないかと思います。そこでわたし、これって男女限らないことでは?凪沙は凪沙のままで良かったんじゃないの?と思ったのですが、凪沙は女性であることにこだわっていたことや、一果が物語の中で母を求めたこともあって、「母になりたいと思った」と。凪沙にとって、母であることは重要だったんだと気づきました。

親ってなんなんでしょうか。一果のバレエの可能性を見出したのは凪沙なのに〜!!と悔しい思いをしましたが、血の繋がった母からの愛を受けなかった一果は、やっぱり母から愛を差し出されると受け取りたくて仕方がないのかなと。一果を迎えに来た母に対して素直に広島へ帰ったことも、一果を連れ戻そうと広島の実家へ覚悟を決めて乗り込んだ凪沙に着いて行かなかったことも、結局母親を見捨てられなかったからなのかなと。

題のミッドナイトスワンは深夜のショーパブで白鳥として踊る凪沙のことを指すのでしょうか。そして一果は世界に羽ばたくスワンになります。この対比について色々考えたのですが、わたしには難しかったです。ミッドナイトスワンと出会ったことで一果のバレエ人生は始まります。そこがミソなのでしょうか。うーーんわかんない!考察サイトみます!

わたしは凪沙の人生を否定したくないです。彼女と一果が踊るバレエは本当に美しくて、素晴らしかった。彼女は十分に一果の母親でした。肯定したい。

ところでわたし、Xに感想をかきまして、たくさんの草なぎ剛さんのファンの方からいいねをいただきました。ありがとうございます。Xに書いた通り、一果に無償の愛を注いでくれる人がいてよかった。苦しむだけだった凪沙がかけがえのない日々を過ごせてよかった。2人の生活は間違いなく2人の幸せになったと思います。そう思いたい。

辛くて苦しくて、だけど美しいお話でした。演者さん皆さん本当に素晴らしかったです。そらアカデミー賞とりますわ!という感想です。無償の愛を与えてくれる人は少ないし、与えてあげたいと思う物も人も少ないです。大事なものを失わないようにしたい、ずっと一緒にいたいと強く思います。

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?