なんで学校に行ってるの?
こんにちは。めろんぱんです。
今回は映画のレビューではなく、私のお話を書いていこうと思います。
今回は私が不登校になったわけを紹介します。
そもそも、私は不登校でした。
中学2年の秋から中学卒業まで、学校には行っていません。
不登校になったわけ、結論から言うと特に無いです。
いじめられていたわけでもなく、家庭環境が複雑というわけでもなく、なんとなく行きたくなかったんです。
サボりだと思われることもありました。自分でもサボりじゃないかと思いました。
ですが、朝になると頭が痛くなったり、制服に腕が通せなかったり、学校の目の前に来ても足が動かなかったり、チャイムを聞くのが泣くほど辛かったりしました。
「学校に行かない」というよりも「学校に行けない」という表現が合っているような状況でした。
「学校に行きたくない、行けない」そういうと周りの人たちは「なんで行きたくないの?」とか「何か嫌なことあったの?」と聞いてきます。
でも、理由は特にないんです。
だから、何も答えられないんです。
そうすると「言いたくないの?」「言えないようなことがあったの?」と聞いてきます。
この記事を読んでくださっているあなたが学校に通っている、通っていたかどうか分かりませんが、通っていたとしたら
「なんで学校に行っているんですか?」と問われて明確に答えられますか?
勉強がしたいから?友達に会いたいから?行かなきゃいけない場所だから?
それって本当にそうですか?
家でだって勉強できるし、友達とだって学校じゃなくても会える。
学校は行かなきゃいけない場所じゃない。
ここまでで私が「学校に行く意味がない」と言いたいと思った方がいると思いますが、そうではありません。
実際、私は高校に通っています。
それは、今私は学校に行くことに意味を感じているからです。
学校に行きたいと心から思って、その理由が明確にあります。
私が言いたいのは「学校は学校とは行きたい人が行く場所である」ということです。
学校は「学校でいじめられている」「学校で嫌なことがあった」「学校に行く意味がわからない」「学校に行かないで別にやりたいことがある」そう思っている人たちが行くべき場所ではありません。
「なんで学校に行くんですか?」という問いに明確な理由を答えられる人が行くべきです。
学校に行くことが当たり前になっている今、学校に行かないという選択がおかしいと思われやすい世の中になっています。
学校に行くか行かないかは本人が選択することであり、正解も不正解もありません。
どちらの選択をしても認められる世の中になることを願っています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?