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MBAを持つ母が語る 子育てー女にはキャリアを貫くために闘わなければならないときがある(後編)

※本記事は、宣伝会議 第43期 編集・ライター養成講座の卒業制作として作成しています

 女性が結婚して子供を産んでもキャリアに影響なく、また子供や自身に負担なく働き続けるためにどうすればよいのか?MBAという難関資格を取り、自身のキャリアを諦めることなく、結婚も子育ても貪欲に貫いてきた女性に話を聞いた。

前編はこちら

長男が原因不明の頭痛で不登校に

 中学受験し御三家の中学へ通っていた長男が2年のとき、突然原因不明の頭痛が始まり、学校に行けなくなった。検査をしても原因はわからず、最初は精神的理由かと思った。頭痛専門外来へ行き、高校名を言うと親が過剰にプレッシャーを与えているのでは?と勘繰られた。大量の薬を渡され、病院を移ると違う薬を処方されたが、飲んでも一向に効かなった。
「このまま長男は学校に行けず中卒になってしまうのか」佐々村さんも将来を案じた。一回寝込むと食べないで水しか飲めない長男は勉強どころではなくなった。
 しかし、出席日数は足らなくても先生が理解してくれて留年せずに済んだ。学年主任の先生が「やる気があり、ポテンシャルのある子だから大丈夫」と励ましてくれたのがありがたかった。佐々村さんは頭痛に関する本を読み漁り、原因を調べた。そして頭痛で苦しんでる子供がたくさんいるのを知ると心配する気持ちが和らいだ。長期欠席は高2まで続いたが、長男は痛みの対処の仕方を克服。無事学校生活に戻っていった。
 大学生になった今も頭痛はあるが、自分で調整できるようになった。病気の影響もあり、1浪の末、希望の難関大学へ合格。大学で起業サークルに入り、医療系ビジネスの起業を目指している。

お兄ちゃん

6歳頃の長男。長男の病気の話をするとき、佐々村さんは思わず涙ぐんだ。それまで順調だっただけに長い闘病生活に親子で苦しい日々を過ごした。

 次男も同じ大学に合格。現在2年生で佐々村さんに続き公認会計士に見事合格。病気で苦しんだ長男には資格を持っているといいよと勧めていたが、次男には言ったことがなかったので快挙に驚いた。
 子供が成長し時間の余裕ができると、佐々村さんは米マサチューセッツ大学のオンラインでMBAの勉強を始めた。それまでも英語、アナリスト協会会員と、通勤や昼休みの隙間時間で勉強を続けブラッシュアップしてきた。2018年にMBAを取得。二人とも成人し、自由に時間を使えるようになった今、時間を気にせず思い切り仕事をしたいという。次の世代のメッセージとして「今はグーグルやアマゾンがいいと言われているけれど、ずっと続くかはわからない。どんな厳しい状況になってもへこたれない強い気持ちを持つのが大切。ダメでも『なんとかなる』と開き直れる柔軟性も大事です」

親の負担が大きい中学受験をどう乗り切るか?

 佐々村さんの長男は中学受験で御三家に、次男は難関大の付属中学に合格した。多忙ななか、親の負担が多い中学受験をどのように乗り切ったのか。
佐々村さんの基本は「褒めて伸ばす」。テストで悪い点を取っても怒らず、基礎的な問題で間違えていたらもう一回やってみようと促す。宿題を今日やってないと言えば、「昨日はできたからすごい」ととにかく褒めた。5年までは子供と一緒に勉強。答えを教えるのではなく、わからない漢字があれば辞書で意味や画数を調べる、タブレットを使うと調べる手段を教えた。調べてわかったときに「すごいね」とまた褒める。長男は6年になると自分で勉強できるようになっていた。
 やんちゃなタイプの次男には、ゲーム感覚で一緒に問題を解きわざと勝たせた。「すごいね!」と悔しがると、「俺すげえ」と調子に乗ってやる気を出した。子供にとって大事なのは「自信」。自信があれば頑張る信念ができると佐々村さんは振り返る。
 難関校の問題は奇問もあるが、勉強の楽しさを知ってほしいという思いが根本にあった。国語の問題で面白い物語があると、本を買って「これおもしろいね」と佐々村さんが読んでいると、子供も「何、何?」と興味持つようになる。子供の一瞬の興味を見逃さなかった。塾から帰ってくると毎日1~2時間、子供と向き合った。親子の結びつきがより深くなり、受験は一石二鳥。どこまでもポジティブに乗り切った。

フィリピンから従妹を呼び寄せワンオペを打開

ミネルヴァ・ラーディザバルさん(コンサルタント)
2015年MBA取得

 都心の閑静な住宅街にある自宅のリビング。解放的なキッチン、エスニック調の絵画が飾られている落ち着く空間だ。フィリピン人のミネルヴァ・ラーディザバルさんは、フランス育ちの日本人男性と結婚、フランス人学校に通う高校生の二人の息子と暮らしている。

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ミネルヴァ・ラーディザバルさん
顧客には一流企業のビジネスマンが多い。

 フィリピンの大学で電子通信技術を学び仏系企業に就職。アジア、ヨーロッパ、アフリカでエンジニアとして実績を積んだ。パキスタンで初めて10人の男性職員の上司になったときミネルヴァさんはまだ23歳。男尊女卑の意識が強く、自分より若い彼女を上司と認めず、指示しても無視され途方に暮れていた。そこで滞在していたホテルの朝食券を使って、従業員を毎朝一人ずつ呼び出し、一緒に朝食を食べながら、なぜ自分と働きたくないのか?尋ねた。みな自分より若い女性を上司とは認めない、の一点張り。一方で豪華なホテルの朝食に従業員たちは喜び、徐々に距離が近づいていった。最後にリーダー格の従業員を呼び出し、徹底的に話し合った。そして遂に彼を味方につけることに成功。他の従業員たちも彼女をリーダーとして認め、無事業務を果たすことができた。
 その後、転勤で日本に来て、今の夫と職場結婚。専業主婦になり長男をし出産、2年後に次男を出産した。日本語が話せない彼女は、出張で不在がちの夫、幼い二人の息子との生活に疲れ果てていた。昔のように自分らしく働きたい、そう思っていた。彼女が家の中でストレスをためている姿に夫も、「君はあんなに優秀だったんだから」と働くことを勧めた。夫の後押しもあり息子を保育園に預け、仕事探しを始めると、英語でのコーチング講師の仕事が見つかった。海外進出する企業の社員に、外国人にプレゼンする方法をレクチャーする仕事で、クライアントの業務内容を分析し、どのようなアプローチがいいかアドバイスする。

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歳が近い兄弟が幼い頃の育児は特に大変だった。

 これまでの経験を活かし、状況を的確に把握しクライアントに寄り添ったセッションは評判を呼び、名だたる大企業から指名を受けるようになる。
しかし働き始めたころ、子供達はやんちゃ盛りの3歳と5歳。大事なクライアントとの仕事の日に熱を出され、夫と看病をなすりつけあったり、仕事が遅くなり迎えに行けなかったり、フルタイムではなかったので何とか続けられるという有様だった。

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子供の夏休みに合わせ夫婦で4週間の休みを取り、世界中を旅行。日頃忙しい分、長い休みで親子のスキンシップとコミュニケーションを補っていた。

 そうした状況を打開するためにフィリピン人のシッターを頼んだ。日本人より安く頼めるので、毎日子供の迎えと夕食作り、入浴まで頼めた。さらにフィリピンから従妹を呼び寄せ、ビザを取らせ家事、育児を手伝ってもらった。空き時間を確保したミネルヴァさんは東京のグロービズ学院で学びMBAを取得する。研究で日本人女性についても調査した。
「日本は母親がキャリアを追求する環境がまだ熟していない。家事や日常の雑用は女性の仕事のまま。さらに日本企業では、出産後の女性のフレックスタイム制を認めていない。多くのビジネスや政府の規則は依然として男性中心で作成されているため、男性のニーズに焦点を合わせている」と分析する。
 MBAを取ったことで、自分の幅が広がり自信が付いたと語るミネルヴァさん。子供達は海外の大学進学を希望しており、これまでの彼女の努力が着々と実を結んでいる。

母親が働く=子供が可哀そうではない

 MBAを持つ女性たちに共通するのは自分の能力を最大限に発揮していること。その上で子供にとって何が大切かを客観的に判断し、その時々で最善の道を選んでいる。キャリアにも子育てにも妥協がない。
 新幹線通勤、従妹を海外から呼び寄せて家事を手伝わせる。それはあたかも自分のキャリアと家族を守るための闘いのようだ。無謀ともいえる所業は彼女たちが行動的で優秀で努力家だからできたのかもしれない。若い女性のなかには、そこまでしてキャリアを求めたくないと匙を投げてしまう人もいるだろう。
 だが、そろそろ子供を産んで育てるのは女性の役割という時代は終わりにすべきだろう。私も専業主婦の母に育てられ、小さい子供を留守番させるのは可哀そうだと思っていた質だが、佐々村さんもミネルヴァさんも、子供の頃、母親が働いていても寂しいと感じたことはなかったという。むしろ独立心が育った。ずっと働きたい、そのために勉強し学校へ行く、人として当たり前の志だ。
 日本は学生までは徹底し男女平等。試験は定員制限で女子の方がむしろ難しいのに、学費はむろん男女同額。だが、生涯年収は大卒男女で約5000万円の差がある。娘を育てる母として、女性が子供を産んでも、闘うことなく人生を謳歌できる世の中になってほしいと切に願う。

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