信じる理由
吉沢亮さん主演のPICUというドラマをご存じだろうか。
その第一話に腹膜炎で亡くなってしまう子が登場する。
見ていて私は既視感にとらわれた。
あれは30年前の私だったかもしれない。
その日私は塾に行っていた。
中学受験を目指していたので、お弁当持参でほぼ一日塾と言うハードな夏期講習を受けていた。
夕食を終え、急な腹痛に襲われた。それもかつて体験したことがないほどの激痛で、お腹を押さえて机に額を押し付けて耐えていた記憶がある。
どうやって自宅に帰ったかは覚えていないが、次に思い出すのはお風呂に入ってお腹が温まるようにしていたことだ。
しかし痛みはなくならなかった。
そのうちに40℃近い高熱が出た。
さすがにこれはおかしいと、母が救急で病院に連れて行ってくれた。
診察中に嘔吐したりする私の様子に、母は医師に「盲腸ではないですか?」と訊いていた。しかし答えはノー。盲腸なら押せば痛みがあるはずの部位を押しても痛がらない、と言うのが理由だったように思う。
それから何度もいろいろな病院に行ったが、上記の理由で盲腸の疑いは却下され続けた。
熱は一向に下がらず、腹痛も治まらない。
私はただ寝ているだけの日々を過ごしていた。
当時住んでいたマンションの近くに昭和大学附属病院があった。
一度目の診察では風邪薬を出されたように思う。
「これでも熱が下がらなかったらまた来てください」
この頃になると、もはやお腹の痛みはあまり感じなくなっていた。
薬を飲み終えても熱は下がらず、私は再び昭和大学附属病院を訪れる。
そこに奇跡のような物語が待っていた。
その日外来にいたのは、普段は外来にいない教授先生だった。
その先生は私が診察室に入るなりこう言った。
「お母さん、これは普通の病気ではないですよ」
そしてすぐに直腸を触診。
次に出てきた言葉はこれだ。
「すぐ入院してください」
私は車いすに乗せられた(余談だが病院前の信号で私は走って横断歩道を渡っている)。よく覚えていないが、検査に行ったのだろうと思う。
はっきり思い出せるのは、ベッドに寝ている私をのぞき込む数人の子供たち。
「ごはん食べられないんだって。かわいそうだね」
と口々に言っていたのを覚えている。
今になって、あの子たちはどうして入院していたのだろうと思う。
もう知る由もないが、元気であることを願う。
何もかもが急で訳も分からないまま、ベッドごと手術室に移動した。
手術室の扉が閉じる直前、母と一緒に立っている弟が泣いている姿が見えた。
手術台はとても冷たかった。
麻酔のために酸素マスクのようなものを当てられた。麻酔が効き始める中で、「寝ちゃいけない」と考えていた。やはり手術は怖かったのだろう。
手術後の記憶は曖昧だが、ICUにいたのだろうと思う。そこから私は贅沢を言って個室に入れてもらった。
私の体には13針縫った傷と、2本のドレーンを入れていた痕が今も残る。
なんでも腹痛の原因はやはり盲腸だったようだ。
発見が遅れたため、盲腸が破れてお腹の中が膿みでいっぱいだった。それを避けようとして、腸や内臓が全部上に上がってきていた。その腸を取り出して洗浄、また元の位置に戻して閉腹。
病名は癒着性イレウス穿孔性虫垂炎。
「あと一日発見が遅かったら死んでいた」ほどの状態だったと聞かされる。実際、母は手術が終わっても「3日ください」と言われていたという。
執刀医の先生は、私がケロイド体質で傷が残りやすいと言った後、「整形で綺麗に治すこともできるから」と言ってくださった。
でも私にはこの傷を綺麗にする考えなど全くない。
後に私は37歳で洗礼を受け、クリスチャンになるのだが、人知を超える力を信じるのはこの病気の体験があるからだと思う。
神様があのタイミングで全てを備えてくださり、私を助けてくださった。
普段は外来をしない教授があの日は外来にいたこと、執刀医の先生がちょうど手術を終えたタイミングで私の手術を受けてくださったこと…思い返せば思い返すほど、神様の働きを感じる。それを決して忘れない。そのために私はこの傷を残している。
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