見出し画像

スペインの修復画からみる文化度を上げる方法

今日はハンドメイドと別のお話

過去にも最近にも話題になっているスペインの修復事件
宗教画の修復画別物になったり支柱の装飾が蛍光色になってしまったり
もし私が作者や作者の孫だったら絶対に許せない案件ですが、世間では大バズりしました
「元の絵よりおもしろいしええやんw」
「バズって儲かってるんだからいいでしょ」
そんな風潮があります
修復を頼んだのに原形を留めない形にされて大人気になる
そのことをニュースで専門家は
「末端の人々の文化度をどう上げるか?が重要」
と解説していてちょっと笑ってしまいました
要するに「文化度の低さが招いたバズり」だと評したからです

そもそもこの宗教画や教会の支柱の装飾はアートであり、大切な文化遺産です
何百年物間人々の心の拠り所となって見守り支え、それを人々が受け継いてきたかけがえのない大切な文化財です
恐らく作者も人々の心の安寧を願いながら製作したと思います
そんな人々の心を無視して全く違う物に作り替えてしまうのは、例え故意でないにしろ作品に対する冒涜ではないかとさえ私は感じています
日本で言えば仏像の修復を頼んだらゆるキャラになってしまった
でもおもしろいしいいじゃん笑
それと同じことだと思っています

そもそもこの文化度の低さは人々が「本物の美術に触れる機会の少なさ」だと個人的に考えています
昔からアートに触れる機会を増やし、「これがアートなんだよ」「世界で評価された美術品とは一体何なのか?」「作品には作者の心が込められているんだよ」ということを理解する必要があると思います

身近にアートがなく、絵画と言えば身近なTikTokやyoutubeで再生回数が高い動画が出回ることで「これが芸術なんだ」と思い込んでいる人が多いように感じます
もちろん投稿者の中に素晴らしい技術の持ち主の方が多くいらっしゃることも承知しています
しかし、バズっている動画の中には絵画の基礎知識や技術ものもなく、ただ人気キャラクターの模写やトークの上手さ、派手さや目立つ手法でカルト的な人気を誇っている方も散見しているように感じています
そうすると「これがアートなんだ」「高評価で再生回数100万回以上ならきっと値打ちの高い素晴らしい絵なんだろう」という価値観が生まれやすいはずです

また「アートは理解が難しく敷居が高くてよく分からないもの」という認識がよりそれを助長していると感じています
確かに美術館は見る人の感性をや思考を刺激するものであり、それを阻害しないよう先入観念を持たないよう、解説も注釈も最小限です
しかしそれが「結局何を表現していたのか自分では分からなかった」「美術って難しい」「だから美術館って退屈だし嫌い」という人が生まれると私は感じています

近年では村上隆さんの作品を(この方の作品も賛否両論はあるのですが)トレーディングカードにして配布することで美術館に普段行かない層が足を運ぶ、大きなきっかけになっていました

美術館側ももっとこうした普段美術に親しみの無い人が行きやすくするイベントを企画したり、より嚙み砕いた作品の解説をつけるべきなのではないか、と個人的には思っています
例えば美術館でヨガやラジオ体操をしたり、ナイトミュージアムの企画や実際に作者を呼んで質問が出来たり館内でお茶をしたり…
「ここの青みを出すのが大変でさー、この時のメンタルヤバくて画材を探しに急遽トルコ行っちゃったもん」
なんてユニークな話が聞ければ「あ、なるほど!その時の葛藤が表れているのね」と作品の理解度が増したり「この人意外と親近感あるな」とより親しみをもって作品が見れるのではないかと思います
そうした小さな積み重ねが「末端の人々の文化度を上げる」「美術品や作品への敬愛を持つ」ことに繋がるのではないかと勝手ながら考えていました
スペインの今回の事件の二の舞にならないよう、作品の価値が正当に評価される社会であって欲しいと願うばかりです

「つけるだけでパッと華やかになる!」「もっと輝く私になれる」
そんなイヤリング・ピアスを作っています