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「贅沢」と「貧困」

 今週も素敵な週末だった。
 金曜日はいつものBARで朋輩と飲み明かし、土曜日はカツ丼作って食べて友人もう1人と合流して買い物。
 朋輩が野球に興味津々となり、なんとグローブとバットを購入。たまげたもんだ。笑

 解散した後、モンハンやろうと思ったら後輩ちゃんから電話があり、「ドライブ行きません?」と。さらっと流してもらって行ってきた。表題の写真は、ドライブ先で撮ったもの。風車と水車を1枚に収めた、我ながらお気に入りの1枚。流石iPhone12pro、型落ちかもしれんけど十二分に良い写真撮れる。

 今日は早起きしてモンハンして、ひなたぼっこ。その後バッセン行って、キャッチボールして、4発目のワクチン打って、買い物して。そして今お風呂。お湯貼って全身浴しながらnote日記書くのが恒例化しつつある。

 そしてその表題。土曜日に後から合流した友人のお悩みと、今日の朋輩からの言葉より。

 その友人は今月出費が重なり、貯金はあるだろうけど今月の生活費がけっこう大変らしい。晩御飯¥300で済ませている、と言っていた。
 正直、毎度言っているが俺は1食¥100を目標に自炊している。¥300も食材を使えば、かなり贅沢な料理が出来る。しかし、俺と彼とは生活環境がまるで違う。そこで比べるのも無粋なもんだ。寧ろ、自炊出来ない環境で¥300だと相当苦しいだろう。考え方、環境の違いだなぁ。

 今日、朋輩からこんな質問があった。

「貧しい、ってなんだと思う?」

 俺の答えはこうだった。

「心が満たされていない時のこと。」

 俺の持論。毎月¥100万貰える環境になったとする。金には困らない。しかし、その環境で心を満たしてくれるものが無かったとする。美味しいものを食べても、好きなものを買っても、幾ら金を払っても心が満たされなかったとする。それは、俺から見れば「貧しい」と思ってしまう。

 逆に、月¥10万貰える環境で、遊べる使える金が月¥5000しかなかったとしよう。それでも、その¥5000で心が満たされる環境ならば、それは「貧しい」とは思わない。

 朋輩に、「今自分が貧しいと思う?」と聞かれて、俺は続投で「No」を叩きつけた。
 ぶっちゃけ俺は貯金は皆無で、親に¥1000万返済しなければならない。更に調子に乗ってやりたい放題やった分のカード代も月収の40%ずつ払う形で返済し、更に家賃や保険代、積立、親父から借りた引越代も月賦で返しているので、全部払うと残る現金は¥10000あるかないか。

 PayPayでどうにか回してる所もあるので、残債は大きく減らすことは出来ていない。ボーナス丸々取っておいて、残債より残高が上回った瞬間に一撃で返済するつもりである。その為に日用品や食費(+飲み代)も計算し、PayPayは月幾らまでと決めて生活を回している。火の車どころか地獄車。笑

 まぁそれは過去の情けないというか贅沢した俺が払った金だから、仕方無い。今ケチれる所を徹底的にケチって、少しずつ銭を作っていくしかない。

 まぁ前述の通り、俺は週末楽しい休日を送り、美味しいご飯を作って食べている。満足も満足ですよ。金欠=貧困とは思いませんよ。

 昔、どっかのニュース記事で見たものを何となく覚えている。

「スーパーで¥100で買えるカップ麺を、わざわざコンビニで¥150で買う人の神経が分からない。損してるの分かってないのか。」

 こんな事を言う人がいたそうだ。そこについて分析した記事だった。
 うろ覚えの記憶を要約すると、こんな感じ。

 コンビニでカップ麺を高い金払って買っている人の背景を想像してみよう。働き詰めで、スーパーに行く時間すら惜しいのかもしれない。或いは、近くにスーパーが無くて、車を走らせないといけないのかもしれない。その労力やガソリン代等を加えて考えると、スーパーで買った方が安い事は分かっていても心に余裕が無く、コンビニで高いカップ麺を買う事で何とか少しでも心に余裕を持つ時間を作っているのかもしれない。

 表面上だけ見れば、コンビニよりスーパーの方が安い事は誰でも分かる。分かっていても、心に余裕が無くて、その渦から脱却出来ないのかもしれない。その水面下を見ずに、「高くて勿体無い」とその人を責めるのは酷いのではないだろうか、なんて考えてしまった。

 俺も現在、過去の自分のツケを精算する為に向こう13年を犠牲にするつもりである。ただし、本当に「スキ」なものに対しては一切ケチらない。「推し」と呼べるもののグッズやCD・DVD、そして大切な人への出費。

 まずは現実的に次の車を3年後に買わなければならない。丁度新車を買う友人がいたので、ノウハウを教わった。3年後に覚えてるか分からんけど……。笑
 そこに向けて、親父から借りた引越代とカードの残債を何としても、遅くても来年夏のボーナスまでに払わないといけない。削れる出費はとことん削る。
 例えば最たる例が食費。必要最低限で求める最高の味が出せれば花丸100点。余裕。先月、先々月のレシートから換算すると、1日辺り3食+飲み物、日用品含めて¥500、月約3カートン煙草を買っているので1日あたり¥1000で生活している。これが贅沢なのかそうでないのかは、見る人次第だろう。

 今日の1曲は、CLACK.incの「一撃」。めちゃくちゃ(俺にとって)王道の直球ロック。見た目ド派手なバンドだけれども、大好きなバンドなので本当に頑張って欲しい。いつかZeppとか野音位の規模の所で演奏してるとこ見たい。

 過去の自分を責めるつもりは無い。その時が楽しかったし、幸せだったのだから。
 今の俺も幸せだ。風通し良くて昼間はぽかぽかの家に住んで、好きなことやって、遊んでくれる朋輩や友人がいる。贅沢もしている。上等な人生だ。

 いつまで鼓動が続くか分からんけど、散る間際に一撃かまして去りたいね。「俺は幸せな人生だったぞ。」ってね。

ざらつく向かい風に立ち上がれない時も
太陽は赤く照らす

万策尽きた時にこそと笑う真価は
生き方そのもので散らせ

かくなる上は最後の一撃を

(※耳コピの為不正確です。ごめんなさい。)

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