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【入浴日記】認知

 恒例の入浴日記を書こうとnoteを開いた時に、こんな記事を読ませて頂いた。

 「自分の言葉で書く」事が、私は大好きである。何かを見たり聞いたり感じたりした時に、再度自分の言葉に再現し直すのである。それによって「私の言葉」となるからである。私が身をもって体感した経験を、私の言葉で綴る事に意味がある、と私は考えながら日々何かを綴っている。このひと段落に、特に意味は無い。ただ、ひたすらに共感したから引用させて頂いたまでである。

 さて、過去の青い鳥を完全に払拭し、風木 愁として再度囀りを始めた今日この頃だが、喜ばし過ぎて死んでしまうのではないかと言う程幸せな事があった。そもそも再び戻った私と、過去の縁を再び繋ぎ直して相互様となって頂けただけで十二分過ぎる幸せなのだが。ただただ、余りにも嬉しかったことがある。

 2人の、憧れていた人からメッセージが返ってきた事だ。

 1人は、あるV系DJイベントでお見掛けしたお方。第一印象は「すごいな、かっこいいな」だった。遠目からで、酒も程良く回っていたあの日。知人数名と酒、煙草、そして音楽を嗜み、時に暴れたあの日。凄く良い思い出だ。
 あの日、あのお方が選んだ曲は鋭く抉るような、暴れ甲斐ある、俺の好きな曲ばかりだった。というか知ってる曲ばかりだった。率直に、憧れた。素敵な格好で、素敵な曲を選び、フロアを湧かせるあの姿に憧れた。

 その後、V系界隈用のアカウントで相互フォローになった。その時は時たまにこちらからメッセージを送ってみる程度で、恐れ多いとまでは言えないが殆ど一方的に見ているだけだった。
 そして新たにアカウントを作り直した時、フォローバックを頂いた瞬間、心臓が跳ねたような心地だった。嬉しかった。いくつかやり取りを重ねている自分が信じられなかった。思っていた事をそのまま文字に起こして送信し、見返して「何送ってんだ」と自分にドン引きしたけれど。

 もう1人は、創作家のお方。以前の限界ヲタクアカウントでお見掛けして、その世界観とキャラクターの美しさに魅了され、フォローした。当時は非公開アカウントだったので、本当に一方的に見ているだけだった。

 アカウントを削除してからも、pixivで拝見させて頂いていた。新着が上がる度に、「素敵……」と独り言を漏らしていた。我ながら限界だねこれ。やがてnoteで短編・長編小説を書こうという気持ちになったのも、自分の頭の中で描いたものをこんなにも素敵に伝えられる人がいると私が認知し、私もやってみよう、と踏み出せたからだと言っても過言では無い。

 新しいアカウントは、非公開にするつもりは毛頭ない。ありのままを囀る場所であり、この本拠地を自己満で公開する為に作ったのだから。だから、思った事をこれまた率直に呟いた。そして、返信を頂けた。この時は朋輩が車に乗っていて、テンション上がりまくって騒いだものだ。

 憧れていた人から返信を頂けた。それだけでこれ以上無い位幸せな事なのに、それが2度もあった。例えるなら、TVに映る有名人から直接手紙を頂くのと同じ位、私にとって喜ばしい出来事だったのだ。とても幸せである。半年間闘い抜き、今なお闘病生活しながら働く身であるが、ちっぽけな幸せは生きる理由に直結する。

 私の心の核は哀愁という黒い塊なので、どうしても悲観的にモノを考えるところから始まる。嫌われないだろうか。実は不快なのではないだろうか。そんな事ばかり考えてしまう。ほぼ引き篭った半年で多少の改善は見えるが、やはり根本の悲観主義に変化は無い。

 それでも、私の青い鳥をフォローしてくれる人がいるだけで心は喜ぶ。私の囀りにハートマークを押してくれる人が1人いるだけでとても嬉しい。コメントを頂けるだけでとても幸せだ。ご縁ある御相手の、頭の隅の隅にでも私の存在が「認知」されたというだけで、私は幸せで仕方ないのである。晩秋を哀しく愁う私にとって、それだけで日本一高い山の頂上と同じ位の幸せを感じるのである。

 今回の1曲は「Call Me」。曲名が何となく内容と合ってるというか、私の心の奥底からの願い事みたいで選んだ。好きなDJ2人が関わっているだけで堪らない曲なのに、曲調もまたド直球のストライク。鼓膜が重低音に溺れるこの感覚、好きな人と共有したいなぁ。笑

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