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このシュートが決まったら、

 とある告白のシーンで、「このシュートが決まったら俺と付き合ってくれ」ってあると思うんですが、これは両片思いであることが確定している事由でしか起こり得ないんだろうか、と最近疑問に思うようになりました。だって、言われた側は何ひとつできることがない、拒否権がない、ディフェンス? していいの? ができるならまだしも、そういったわけではないでしょう? となると、やはりこれは受け身な恋愛・話となる。あくまでもアニメですとか、創作ベースの話だと仮定しても、なんだかなあ、男女どっちがとかではなく、対等でないなあと大人になると思ってしまうわけです。

 大人になってからの恋愛って難しいなと思うことがすごく増えていて、マッチングアプリなどそれありきで出会った人間と恋愛ができる人種は良しとして(私はそれも勿論よいと思っているし、上手くいくならそれはありだと思っているというスタンスを取ることは先に示しておく)、問題は既に関係性が構築された存在。友人や後輩など、それが親密であればあるほど次に進む必要があるのかないのかについてガキンチョばりの悩みに頭をもたげていたりする。

 で、冒頭のシュートって要するに壁打ちで、コミュニケーションでないんだなあ、と。告白のうち逃げ。例えば長文の手紙、DM。ファンです、と名乗る、けどそれはただの照れ隠しや逃げでしかないと気がついたときに、もう逃げ場がなかった。一人の人と長く向き合っていくことも大事だが、次に進む手段を持っている人——転職にも似ているがそういったスキルが足りないんだ、と自分と向き合う中で思っていて、いつだって熱量のある感想DM・ツイートとか送りつけるきもいおたくだったわ、と身の程を知らされました、っていう話。

 そう考えると告白してくれた人を思い返すたびに青春(?)を懐かしむとともに、わたしちゃんとできてるかな、人の振り見て我が振り直せ、ってほんとやなあ、と思うわけで。
 引きこもりの久々の文章でした。活字読めなくなってるから文章下手でごめんね!ではまた

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