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彼女が奥歯で、世界は。わたしは。

 今日は書評とも言えぬ駄文を連ねようと思う。普段私は小説の簡単なレビューをインスタグラムのストーリーに投稿しているが、今回ばかりはどうしても纏めきれなくなった。纏めるならば、手に取ってくれとしか言えなくなってしまったのだ。かなり衝撃的な出会いだった。Twitterで話題にしてくれていたおかげでこの作品に出会うことができた。この機会に心から感謝したい。

『わたくし率 イン歯ー、または世界』
川上未映子 講談社文庫より

 小説の表現の幅!囚われないかつての常識!こういうのが読みたかったんですよ、わたし。って感じ。
 何が衝撃って一人称ばりっばりで書いていて、言ってしまえば周りの人間を置いてけぼりにしても構わない、そんなスタンスで書かれていること。散文詩との間みたいな感じ。私はこの作品によって区分がさらに曖昧になってしまった。最果タヒの詩をたまに読むからかな。でも区分なんてどうでもいいんですよ。文藝は、藝術は流動的で、いつも新たな試みをしてやろうとしてることがおもしろいので。

 てか、方言てこんなに出してええねんな?読みづらい人にとっては読みづらいのかもしれんけど。私も方言バリバリで一本書きたい。実は私、母語は博多弁やけんさ。いつかこんなの書いたろか?ってなる。そんな簡単に書けたら誰も苦労せんとは思うけど。

「私は奥歯や」
 そう言われてパッと思い出せる? 奥歯って何だっけ? ああ、あの石臼みたいなやつか。
 私の奥歯——親知らずはまだ生えていない。親元を離れていないからだろうか?自身が奥歯であることを自覚しておきながら、それを抜いた。ではそこに残った躰はなんだ?

 彼女が奥歯なら、私は何であるか?
 目だ。きっと目だ。いつも人を見つめている。私が目であるかどうかは別として、私には無数の目玉が詰まっている。視覚だけで情報を察知することが多い。目に映るものはすべて真実だ。虚構が視界に流れ込むことも屡々存在するが、この目で見たものはすべて現実なのである。
 奥歯が私だという人を認めることは、自分自身を認めることにも繋がるのかもしれない。

 この本にはもう一作品収められている。
『感じる専門家 採用試験』

 四時って学生をしているとあっという間に過ぎる時間だと思うんだよね。授業受けてると通り過ぎる時間だし、気がついたら日が暮れててさ。でも主婦にとってはそこがひとつの区切りになる。スーパーに行かなくてはならない。献立を決めるのって結構な心労だと思う。なんで毎日別のものを食まなければいけないか私にはわからない。予め献立を決めてスーパーへ向かっても、今日はこれが安いなとか、そんなこんなで当初の予定は狂わされる。むずかしいね、食事。

 うーむうむうむ。生む有無問題。これはあまりにも語呂が良すぎる。ここ大好き。わたしは何故生まれたのか?生まれざるを得なかったのか?わたしの子どもって何?それって本当にわたしの?え、他人じゃないの?他人ではないか、そうなのか。

 うーむうむうむ。
 川上未映子、また読もう。

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