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The chopsticks broke……

 箸が折れた。プラスチック製のピンク色の箸。ピンク色は仄かに透けていて、シルバーのラメが散りばめられている。つるつるとした表面はどこまでも丸く、箸置きがなければいつもテーブルの上を転がっていた、私の箸だ。
 箸が折れたのは何故だろうか。食器洗い機に雑に突っ込んできたせいかもしれないし、長年使っていれば劣化だってする。元々安物っぽかったし、さして気に入っていたわけでもないのだけれど、私の手元でそれがぽきりと折れたとき、私は酷くショックを受けた。箸は中央から折れ、一膳の箸はちぐはぐな長さの三本のプラスチックの棒となった。

 私はプラスチックが苦手だった。つやつやとした感じとか、安っぽさとかそういうことではなくて(かつてプラスチック製のイヤリングで耳が爛れたことがあるからあながち間違いでもないが)、プラスチックが私に負ける。ボールペンを握る。グリップに力が加わると、先の円錐形のペンのまわりを覆う部分とグリップとの間から亀裂が走る。一度入った亀裂は進行するばかり。ある日突然ぽっきりと、ボールペンが本体から折れるのだ。シャーペンにも同じことが言えるのだが、皆がシャーペンの芯が折れる話だと思い込んで聞くとき、私は本体が折れているだなんてとても言いづらい。握力も成人女性の平均ほどだし、指相撲だってほとんど勝てない。なのに何故? プラスチックが弱いせいで、私が相対的に強くなってしまう。

 最近手元がおぼつかない。手に力が入らなくなって、物を落とす。ガラスカバーのついていないスマホは液晶の面から落ちていくし、コスメも落とす。コップも落とす。ラップトップPCを落としていないのが奇跡なくらいだ。
 特によく落とすのがアイシャドウパレット。出先でないと不安になるため、いつもメイクポーチはパンパンで、アイシャドウパレットが二つ三つ入っているわけなのだが、そのどれもが底見えする前に蓋の蝶番を割る。片方が割れたら、もう一方も。乗っかっているだけの蓋に安定性などない。アイシャドウも割れる。粉が溢れたポーチの収集のつかなさは私の内面とよく似ている。すべてのものを私とリードで繋ぎたいくらいだが、私自体もよく転ぶ。本末転倒でしかない。



 この題は直訳すると、「箸が折れた」だ。しかし、正しい英語にするなら、
“I broke my chopsticks.”
だろう。brokeを習ったのはたしか中一の頃だったが、とても謎であったように思う。箸が折れた、という日本語と呼応しないその文章に。主語が抜けがちな日本語ゆえ、口語的表現であり、私が箸を折った、と言えば通じる話なのだが、そのときの私にはわからなかった。教科書に載っていた割れた花瓶と泣く少女、怒る母のイラスト。
“The vase broke! ” “You broke it.”
そんなたわいもない会話だった気がするが、おまえが壊したのだ、と強く認識させられたのを覚えている。おまえが壊した。おまえが。

 近頃はもう大丈夫、そう思った矢先の出来事だった。仮に理由がほかにあったとしても、私が折ったのだ。私が食事をしているときに。私がその焼き鮭に箸を入れるときに。その橙色の脂の乗った身に箸が触れるその瞬間に。箸は折れた。家族で揃いの箸は、私のものだけ喪われたのだった。

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