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占い師なんて知らないし。

 今回は蓼原 憂という名について書こうと思う。今更ながらなんともめんどくさい名前を付けたもんだ。画数が多くて太いペンでは潰れてしまうし、まず「蓼」の字が読めない人多数。たではらと申します、たではらうゐです、どうか御贔屓に。

 身内に占い師がいる。姓名判断と手相だけだが、私も何度か見てもらったことがある。
 私の本名——憂は本名ではないので——もその人に文句を言われないよう両親が付けた。その為、苗字+名前の画数が良くて、誰にでも読める名前となったが、まあ至って平凡。おまけに学年に絶対おんなじ漢字の人間はいるし、ちょっとバリエーションを加えたらサークルの中に三、四人いたりする。呼ばれてないのに振り返ってしまって不便。

 両親が結婚するのにも画数の問題は付き纏った。父の苗字の文字があと一画多ければ、ほかの部首の漢字であれば、結婚させてもらえなかったそうだ。昔はロマンチックだと思わなくもなかったが、それは結婚に対してポジティヴだったときの話。今では苗字すら飽きてしまった。自分ですら嚙みそうなのに、他の人はもっと言いづらいだろうし。

 先日、講義で連句をする為、各自用いる俳号を決めた。翡翠の「翠」にハスで翠蓮。睡蓮からもじり、透明感と凛としたイメージに沿って付けた。特に画数にはこだわらなかったが、見てもらったほうが良いものか、と母に頼み、俳号をその占い師に見てもらった。ニュアンスで付けている人も多いし、どんなものでもよかったので一応なのだが。
 すると開口一番、「なんでそんな画数多い文字にしたの?」と。「あの子はそういう子なんですよ〜」と母。電話口で話していたため、うまく話が伝わらないこともあり、だんだんと議論に。嗚呼、めんどくさいことを頼んでしまったと母の怒声を聞きながら、私は後悔した。
 そのとき私は思い出した。蓼原と付けたときのことを。

 「蓼原」とは実在する苗字である。以前何処かの野球青年が蓼原という名なのを見た。蓼という字を知っている人の多くが思い出すであろう、「蓼食う虫も好き好き」からこの名も取っている。兎に角他人と名前が被るのが嫌で、寄せ付けない、つけ込まれない名前になりたかった。強くあるということは独りに近づくことかもしれない。万人には好かれないのだ、苦い葉は。
 そんな気持ちで付けた、匿名性ありの作品提出のある講義で出した作品に、蓼原の名を添えて。蓼原と本名とがイコールで結ばれた瞬間だ。

 私の表現はわかりづらい。直接的でない。だって直接的な表現ならほかの人がやってるし。私がする必要はないでしょう? 蓼原のこと好きでいてくれる人だけでいいじゃない。ほんとに? ほんとは好かれたいんじゃなくて? もっと見てほしいんでしょう? 聞いてる? ねえ、蓼原さん?

 ええい! せからしいわ!!!
 蓼原は叫び出した。本名よりも最近自分の身体に染みつきつつあるこの名が、剥がれないことに対する苛立ち。それでも自分で付けた名には誇りがある。幾らペンで書いたときに潰れようとも、サインにしづらかろうとも、私が蓼原 憂である瞬間を大切にしたいと思う。
 だから私は、フジテレビ水曜22時の「突然ですが占ってもいいですか?」のテーマソングにもあるように、占い師なんて知らないし♪ なのだ。

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