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渦中から君へ18

いよいよあと一週間で5月が終わる。

今日はキャベツを出荷するために東京と東北を結ぶ国道4号線を3往復した。子どものころから両親がよく行っていた4号線沿いの市場までは片道20分ほどあるのだが、今日はずいぶんとたくさんのバイクを見かけた。今週一週間はずっと曇り空で長袖を引っ張り出す必要があるくらいに寒い日も続いていたけれど、今日は過ごしやすい一日だった。みんな外に出たいという欲求を抑えるのが難しかったのだと思う。道中にある道の駅もたくさんの人で混み合っているようだった。

その国道はぼくらが東京のみおさんの実家に帰省するときに通る道でもあり、基本的に片側3車線が続く。
トラックで高架線を走っていると、水を張った田んぼや緑色の作物が育った畑などが緩やかな勾配の上にどこまでも連なり、走っていて気持ちがよくなる。
もしコロナウイルスなどなければ、こういう休日をどう過ごしていただろうか?
きっと土日のうちの一日はやはり農業を手伝っていただろうけど、もう一日は少し遠出なんかをしていたかもしれない。
あるいは君を乗せてみおさんの実家を訪れていたかもしれない。

緊急事態宣言はもう解除されようとしているけれども「新しい生活様式」という言葉がよく口にされているように、これで全てが元どおりになるわけではない。
なんせコロナウイルスの感染がなくなったわけではないのだ。
来月には多くの人々が職場に復帰し、多くの学校では授業が再開されることとなるだろう。しかし、コロナウイルスの感染が拡大する以前のような生活はさまざまな面で見直されることになるだろう。スーパーやコンビニのレジに貼られた透明なアクリル板や手袋をした店員、マスクをした人々はなくなることはないだろう。これまでのように人々がたくさん集まる飲み会や大規模なイベントはしばらくは行われないだろう。できる範囲でテレワークは続き、学校もみんなが一緒に登校するのではなく、分散登校を行っていくところが多いらしい。濃厚接触を避けるかたちでどのように社会を回すことが可能か、多くの人々が模索を続けていくこととなる。

実はぼくは開催が決定したころから一貫して2020年の東京オリンピックに反対の立場だったから、延期が決まったことは本当に嬉しかった。
本当に可能かどうかはわからなかったけど、大会期間中は国外に逃亡したいとずっと思っていた。
コロナウイルスの問題が浮上せずとも、ぼくらはもっとオリンピックという大会の必要性についてちゃんと考えなきゃいけなかったのだと思う。
これほど多様な価値観が広がり、娯楽や趣味趣向が無限に広がる中で、恣意的に選ばれた「メジャーな」スポーツを一つの大会に集約して国ごとに競わせる。そういうことをやることにどれほどの意義があるのか。 
今回の東京オリンピックについても誘致に関してさまざまな疑惑があり、開催国たる日本国内でびっくりするくらいそのことがうやむやにされてきた。誘致が決まって以降も、エンブレムの問題があり、新国立競技場の問題があり、莫大な費用がかかり、去年になってマラソンは札幌でやるなんていう決定がされた。こうしてたくさんの問題が噴出することには、時代的な必然性があるように思う。
そう、もうオリンピックのような大きな枠組みに取り込むには、世界はあまりにも大きく、バラバラになりすぎている。
大きな物語はもはやこの世界の現状にはそぐわないのだ。

たしかにコロナウイルスの感染が拡大したのはたまたまだったけれど、それがあぶり出した様々な問題にぼくらは向き合っていかなければならない。それはつらいばかりの作業じゃなく、たくさんの希望も眠っているはずなのだ。
君が大きくなるころに、ぼくらがコロナ後の世界とどう向き合ってきたかの答えが出ていることだろう。

君の誕生日が5月31日というのは、なんだか意味深である。
君が2歳の誕生日を迎えるとともに、ぼくらの「新しい日常」がはじまる。
君はまた毎日、保育園に行き、ぼくは職場に行って子どもたちを迎える。ばあばは君と遊ぶ代わりに農業をすることになる。
ちゃんとそういう日常に戻っていけるのか、ずいぶん不安はあるよ。いろんな給付金や休業協力金などを申請したけれど、果たしてそれで十分に生活できるだろうか。
またこの長い休校期間が、学校に通っている子どもたちにどのような影響を及ぼすのか、明らかになってくるのはこれからだろう。そういうことを考えると、我々とコロナとの付き合いはまだはじまったばかりなんだなということがわかってくる。
「コロナ後」じゃなく「コロナとともに」って考えなきゃいけないのかもしれない。


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