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ハレもケもハレ13 : ただ、2人で気持ち良く暮らしたいだけなのに

お付き合いをしている彼と同棲を検討し始めたのをきっかけに、人生とは?結婚とは?家族とは?を考え始めた今の心境を書き綴ることにしました。
お好きなところだけつまみ食いしていただけると幸い。

今回は、現在進行形で難航し続けている家探しの話です。泣き言ばかりなので、負の気持ちに引っ張られやすい方はご注意を。


🕊


とにかく公私ともに忙しない。
なにか恨みでもあるのかと思うくらいタスクが重なりに重なっている。このタスクがミルフィーユだったらいいのに。ナポレオンパイでもいい。それだったらさぞ食べ応えがあるだろうなと逃避したくなるほどには、今までに類を見ないタスク量になっている。

入職の頃から同じフロアで働いて4年目、周囲がどんどんフロアを異動したり退職したりするなかで、さすがにそろそろ覚悟はしていた。だからこそ「8月に結婚するので、異動するにしても秋まで待ってほしいです」と主任との面談で告げる
……つもりでいた、その面談の2日前に異動の内示が出た。なんてバッドでジャストのタイミング。
それによる引き継ぎに加え、ちょうど担当している患者さんの退院ラッシュが重なったことでタスクが雪だるま式に増えていく。手を抜きたい抜けない。他人の人生を預かっておいて手なんて抜けるものか。

そんなふうにバタバタする中、結婚準備における最大の難関が待っていた。

家探しである。

つい文字を太字大きめポイントに設定してしまうくらいには最大の難関である。分かっちゃいたけど覚悟をひょいと超えてきた。超えんでいい。求めてない。

最初はすこぶる順調だった。

家に対して求める条件は、擦り合わせる必要なく彼と一致していた。それに、彼が春から転職したことで、東京を南北に切り裂くようにして離れている2人の職場が同じ路線になったことも幸いしていた。
毎日のLINEのやりとりの中にSUUMOのURLが増え、休日会うたびに一緒に住む家の話が出るようになった。「いつか一緒に暮らしたいね」なんていう甘やかだけどふんわりとしたものではなく、はっきりとした予定として動いていることが嬉しいとすら思った。

話し合い自体は至って順調である。彼がテキパキとまとめてくれたスプレッドシートに、家のURL、間取り、広さ、家賃、築年数最寄駅やそこまでの所要時間、入居可能時期をポチポチと入力しておけば、話し合いは容易だった。良くしてくださる不動産屋さんも見つけたし、その方からご紹介いただく物件は住みたい家が多すぎるほどだった。

けれど、ここからが大変とは思わなかった。


ここにしよう、と物件の申し込み書類をすべて埋めた数日後、不動産屋さんから連絡が来た。

「先日はありがとうございました。
お申込み頂きました物件ですが、確認しましたところ、
土日でもう1組申込が入りまして、オーナー側ではもう1組の方でお話を進めたいとのことで、現状2番手の申込受付となりました。お力になれずにすみません。

急ぎ、他の物件をお探ししますので、しばらくお時間頂けましたらと思います。……」

仕事の休憩時間にスマホを開いた瞬間届いた連絡に、え、え、え。と思わず声が出た。土日で入った申し込みは同時審査になるかもとは聞いていたけれど、まさか本当に同時審査になり、しかも選ばれないことになるとは。


その翌週に内見した物件は、「ここはかなり良いかも」と言いつつ、もう一件予定していた内見が終わった直後にすでに申し込みが入っていた。わたしたちが内見をする前に2組内見が入っているのを見たので、おそらくそのどちらかだったのだろう。なんと縁のない。

そこが埋まるあいだに見に行っていた物件は、まったく駄目だった訳ではない。そこそこ広かったし、周りも落ち着いた住宅街だった。たしかに周辺にスーパーやコンビニが東京23区と思えぬほど無かったことは気になったけど、暮らせないほどでは無いと思う。
けれど、寝室を分けて各自の部屋を確保したいわたしたちにとって、2つの部屋を隔てるものが障子ばりに薄い引き戸しか無かったことがどうしてもネックだった。相手の動きが影絵の如し形で見えそうだったし、音だって筒抜けだった。奥の部屋からリビングに行くためにはもうひとつの部屋を経由しなければならないのも気になった。

贅沢を言っているというのは2人とも分かっている。家がないと嘆いているけれど、条件を変えればきっとどこかしら住む家はある。そんなことは分かっている。どうにだってなるのだ。これはわたしたちの我儘に過ぎない。分かっている。分かっているけれど。


でもわたしたちは、気持ち良く2人暮らしがしたいのだ。

各自一人暮らしをしながら、週末だけ互いの家を行き来する今の生活は楽しい。週末を楽しみに仕事が捗るし、彼と会うこと自体がご褒美になる。けれど、2人で暮らすとなると話は別だ。そこにあるのは非日常ではなくて、ひと続きになっている日常であり生活だ。
今まで20数年別の人生を生きてきた他人と一緒に生活するのだ、不都合が生じないほうがおかしい。だからこそ、基盤となる家は絶対に妥協したくない。そんな生活がまったくの無理難題ではなく、手が届かなくはないけれどタイミングに恵まれないようなところにあるものだとしたら、それはどうにか死守して手に入れたい。




駄目でしたと言われるたび、彼と2人で生活するのはまだ早いよと、世の中に言われているような気持ちになる。椅子取りゲームでどんどん椅子が奪われていくみたい。フルーツバスケットで自分だけが呼ばれないみたい。そんなことではないと頭では分かっているのに、ついクヨクヨしてしまう。自分の人生と他人の人生を同時並行で考える余裕がない。

正直、もう限界だった。

「自分の人生のほう考えるのを優先していいんだよ」と、先輩は言った。

心がめちゃくちゃになってしまって「不動産屋さんに新しい内見予定を組んでいただくのが申し訳ない。わたしなんかに時間や労力を割いていただくのが申し訳ない」とぼろぼろ泣いてしまうわたしに「それがあの方の仕事だからお願いしよう、プロに甘えよう。連絡は僕がしておくから」と、彼は言った。

「絶対に良い家はあると思います。もうすこし粘りましょう!」と、不動産屋さんは言った。

人の言葉に救われてばかりいる。心が忙しない。良くも悪くも、ずっとアップダウンを繰り返している。

「一緒に暮らす日々を楽しみにしています」
彼が手紙に書いていたその言葉を御守りみたく抱きとめて、生活に、向き合っていく。



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