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おやすみ日記 3月前半

noteでは何かひとつのテーマに絞ってつらつらと綴ることが多くて、ずっといろんな方の日記に憧れていた。誰かのたわいもない、けれど愛おしい日々がすきだ。わたしの休日もそうあってほしい。そう思って、いつまで続くかは分かりませんが、気が向くままに覚えているかぎり、綴ろうと思います。好きなところだけつまみ食いしていただけたら幸い。
2月後半の日記はこちらから。


2週連続で西日本にいたもので、おでかけ日記かな?という感じでして、ま〜〜〜それはそれは長いのですが、良きようにお付き合いください。

✈️

3月1日
前日23時過ぎまで働き、6時前に起きて京都へ。

旅のためなら早起きだって苦じゃない

出張で関西に来ていた夫と駅で合流する。

ここ1年ほど、毎週火曜日水曜日で関西へ出張していた夫の仕事が一区切りついたとのこと。今回で関西出張が最後&スケジュールがズレて夫が金曜朝まで関西にいるし翌日から休み&わたしの連休が重なった、という奇跡的な偶然により、京都で落ち合うことにした。
なお、決まったのは5日前である。
「そうだ、京都行こう」を文字通りやるやつ。

合流してホテルに荷物を預け、まずは早めのお昼ごはんをいただく。「蕎麦の実よしむら」さんへ。

どこでもお蕎麦食べてるな?

つるりと喉越しの良いお蕎麦、とっても美しかった。鴨南蛮をいただいたんだけど、つけ汁の中にコロンコロンとつくねが入っていたのも嬉しかったです。モキュモキュとした食感が楽しい。腹ごしらえが済んだら清水寺に行った。そこから高台寺を経て八坂神社のほうに歩き、烏丸方面へ。

雨予報だったのに、晴天だった。幸。
八坂神社、知りうる京都の中でわりと上位に好き

混んでるだろうし覗くだけ、と見に行ったソワレにほぼ人が並んでおらず、これ幸いとばかりに待つことにした。大好きソワレ、数年ぶり二度目の再訪!

外観からして最高
これこれ〜!!!

ソワレがとても好きだ。ぼんやりと青い空間も、ガラス飾りみたいな見た目のゼリーポンチも。一時期好きすぎてスマホのロック画面にしていた時期と、ショップカードをスマホケースに挟んでいた時期がある。あちこちの催事で2回ほど味わったことはあるけれど、お店に行くのは2回目。
夫が「京都でおすすめを聞かれたら答えるようにしてるけど、行く機会がなかったので助かる」と言っていた。そんなことある?

その後は藤井大丸でウィンドーショッピングを楽しみ、ホテルへ。詰め込みすぎる旅行が得意ではない我々の旅はこのくらいが丁度いい。

ちなみに元々お天気が悪い予報だったのであまり外歩きに期待していなかった。それに、かつてそれぞれ京都は何度か行っていたので所謂観光名所はもう行っていたというのもある。「急に決めたし、清水寺行って京都感じられたら充分」と話していたので、思いのほかあちこちに行けて良かった。

夜ごはんは夫が予約してくれていた綴さんへ。

たくさん歩いて飲む冷たいビール、最高〜〜!と思わず満面の笑み。細々としたおばんざいを好き好き食べた。

しいたけの和風つくね揚げ。
びっくりするほど美味しかった

大満喫だね〜!と満腹になったお腹をさすりさすり、京都の街を歩いてホテルまで戻る。
昼も夜も、京都の街の雰囲気が大好きだ。来世では絶対京都の大学生になりたい。


3月2日
京都旅2日目。努めて少量、と呪文のように唱えながらホテルの朝食ブッフェを頑張って少量に抑え、錦市場へ。

だし巻き玉子フライ、カリカリ博士のたこ焼き、花よりキヨエの湯葉クリームコロッケなどをそれぞれ半分こして食べる。あまり沢山食べられるほうではない2人なので、これで充分満喫できた。

とろりん〜〜〜としている

錦市場を冷やかした後は四条烏丸のあたりをブラブラ歩き、昼過ぎの新幹線で東京に帰った。

京都の街並み、彩度の低さが好き


なぜなら17時から美容室を予約していたからである。( 我ながら、本当にタイトスケジュールすぎる )

本人公認で神社と呼びしシゲミズさんに髪を染めてもらいながら、切ってもらいながらいろんな話をした。京都から直で来たことを話したら「やたら大荷物だなと思った」と笑われた。

実は京都、因縁の町である。
因縁通り越して怨念すら抱いていた時期が数年間あった。学生時代に長いこと遠距離恋愛をしていた人が京都に住んでいたのだ。新大阪で新幹線を降りて京都に、なんならその人が住んでいた最寄駅に向かう電車に乗る移動は目を瞑っていても出来そうなほどだった。学生の頃の長期休みで遊びに行くことが多かったので、たいていの観光地は1人か2人で行き尽くしていた。
一緒に食べたスマート珈琲のホットケーキも、南禅寺の近くに美術館があることも、京都水族館にオオサンショウウオがやたらいることも、すべてよく覚えている。そんな人との別れ方はあまり美しいものでは無かった。本当なら一緒に箱根へ旅行すべく取っていた連休に会う予定が消滅したので、代わりにと名乗り出てくれた親友と行った数年前の京都が最新の記憶だったのだ。
贈ってもらったマフラーを京都駅のゴミ箱に捨てたことも、焼き鳥を食べながら「ただ、あの人と幸せになりたかっただけなんだけどな」とポロリと溢れ出た自分の本音に驚き、深く悲しみ、2階のお手洗いに駆け込んで泣いたことも覚えている。

だからこそ、夫と純度100%の楽しい気持ちで京都に行けて本当に安心した。件の人と数年の時を経て和解したというのもあるのだろう。やっと京都が純粋に好きな街になった。

「新生活なので」と言ったら、分からないくらい少しの青を混ぜてくれた。短いなりにサッパリとした髪が嬉しい。やっぱりシゲミズさんは魔法使いである。ルンルンで帰宅。


3月6日
やっとこさ休日。
前述した京都旅行の翌日から38.6℃の熱を出した。朝には解熱する、夜限定の発熱。インフルもコロナも陰性だったので仕事こそしていたものの、帰る頃にはHPが無くなってしまう日々が数日続いた。やっと元気になってきたので、とりあえず養生して過ごす。

気圧か疲れか、長期休暇中の夫もなんだかダルンとしており、2人してボヤボヤで過ごす。惰性で冷凍の坦々麺を食べ、ストレッチをするも気力は湧かず。なにこれ。
作りおきのストックはしておきたかったので買い物に行き、動画を流し見ながら作り置きを済ませたら1日が終わった。こんな日もある。


3月8日
5時半に起きる。外は雪景色。さて帰省である。
前日も22時近くまで仕事に追われていたのでタクシーを予約しておくという頭は回らず、バスは雪で機能しておらず、諦めて最寄駅まで歩いた。大荷物に、パンプスで。一生辿り着かないかと思った。

なんとか電車に乗り、空港に着く頃にはグッタリだったけれど日が昇ったことでなんとか遅延せず飛行機が飛んでくれたので安堵する。全関係者に感謝……

昼過ぎに地元に着き、母が勤める歯科へ。マウスピースの調整だホワイトニングだ歯石取りだと諸々のメンテナンスをしてもらう。
夕方には、一足早く九州一人旅をしていた夫と合流し、我が両親と4人で夜ご飯を食べ
……るべく夫を迎えに行っていたら、信号待ちをしていた目の前でお婆さんが崩れ落ち、やれ近くの交番まで行くわお婆さんの脈取るわで大騒ぎだった( ご無事でした ) 一家全員コメディカルの我が家、本当によく世のお爺さんお婆さんのピンチに遭遇する。家族3人で年1以上救急車を呼んでいる人生。

お婆さんを救助し終えたので( ? ) 夫と合流し、海が見えるお店で美味しい和食をいただいた。

映り込んでいるのは母

お腹いっぱいで夫と解散。翌日からは実家に残り、帰省延長戦!

3月9日
学会に出るべく熊本へ。
職場の人たちの発表やシンポジウム、ポスター発表などを見る。

その後は大学の友人と合流し、熊本でご飯を食べたり懐かし愛しの元バイト先に行ったりした。
学会で大学の友人たちと再会できるようになった喜びよ。わたしたち、大人になったねえ……!

モン!

学会で恩師と呼びし方、実習生だった頃のバイザーの先生にお会いした。大学卒業以来お会いしてなかったので、実に5年以上ぶりの再会である。

もともと行きますという話はしていたけれど、あまりにも人が多いのでお会いできないだろうなと内心涙していた。お忙しい方なのでLINEで呼び出す訳にもいかないし。


本当にたまたまお会いすることができて大歓喜。
「やっと会えたー!ずっと探してたんよ」「うちで働いてくれるなら家探しから手伝う」「それ相応のポジションは準備する」と、そのお言葉ひとつひとつが嬉しくて嬉しくて。もうプリントアウトして額装していたいほどだった。

いつも熱いハートと温かな眼差しで患者さんを見つめ、それでいてクールな頭で圧倒的な知識とご経験で「いけるんちゃう?」と物事を決めてバカスカ道を切り拓いていく方( 関西のご出身なのである ) 。
先生みたいになりたくて、先生にお会いするたびお話しするたび「うちで一緒に臨床やろう」と言っていただくことが嬉しくて、それがずっと仕事をする上での活力になっている。学生としてではなく、同じ職業の者としてやっとお会い出来て、本当に本当に嬉しかった。

推しという概念を過ぎ去り、もはや神格化しているのでいただいた名刺は仕事用の手帳に挟みました。目にするたび背筋が伸びる。
また頑張ろう、と改めて思えた良い日だった。


3月10日
実家で両親とゆっくり過ごす。施設のような場所で暮らしている祖母と会い、昔よく行っていたお好み焼きを食べに行く。その後は腹ごしらえを兼ねて買い物をした。誕生日プレゼントに、と洋服を買ってもらう。今月で27になるけれど、両親にとってはいつまでも小さき娘なのだろうな。

それからは母と2人してハマっている( 教えたら母もまんまとハマった ) スマホゲームに興じたり、コスメの話をして同じものをAmazonでポチったり。父とは仕事の話をしたり、最近読んだ本の話をしたり。こう書くとなんだかインテリな父のように見えるけれど、実情は臨床に熱心なただのゆかいなおじさんである。父曰く「あまり本を読まずに育ったので、あおいが本好きなことが嬉しい」のだそう。

ちなみに今回の帰省に持って行ったのは、文春文庫「クローズアップ現代 助けてと言えない孤立する三十代 」と、山内マリコ「東京23話」だった。

早まって一人で立ち上がって頑張れば、再びつまずく。逆に、いつまで経っても自ら立ち上がり頑張ろうとしなければ、再び身動きがとれなくなり、孤立する。三十代の自立への道は、個別化と複雑化が深刻に絡み合うようになっていた。

クローズアップ現代 「助けてと言えない孤立する三十代 」より

鴎外と漱石が住んだその家は尾張の方へ移築されて残存しておる。家の書斎には偽物の猫が香箱を作っている。名無しの猫だ。近代文学最大の功労者であるこの猫に名前くらい付けてやれば良いものだが、どうせ人間のこと、また団子坂だの狸坂だのと安着な発想で付けるに決まっておるから、無名の猫を貫くのもいっそ潔い。吾輩も文教のまち文京区を生涯続けるつもりだ。

山内マリコ「東京23話」


前者は三十代の孤立死をテーマにしたルポ、後者はnoteお友達の中島浮世さんがご紹介なさっていた、東京23区+@が主人公となってそれぞれの区を描く小説のようなエッセイのようなもの。毛色の違うあれこれを開く浅く愛するようになりつつある。

3月11日
東京へ帰る。この日もダラダラと起きて母が用意してくれた朝ごはんを食べ、昼過ぎに東京へ。実家にいると何かを手伝おうにも母があれこれ世話を焼いてくれるので有り難いやら申し訳ないやら。
地元を遠く離れた場所で働くことを選び、結婚までしてしまってごめんねという気持ちと共に、自由にさせてくれてありがとうと毎回思う。おかげで今とても楽しく生きられている。

遊び倒していたのもあり、あまりにも眠たすぎて帰路は飛行機で眠り、帰りの電車で眠り、だった。寝起きを繰り返しているうちに気付けば自宅の最寄駅に着いていたような感覚。おかげで自宅に着く頃にはわりかし元気を取り戻していた。
先週は京都に行っていたし、週の半ばは体調を崩していたしで3月に入ってから一度も走れていない。たった数キロのファンランとはいえ、今月が本番であるというのに。ということで荷解きもそこそこに、夫が帰宅する前に4km走った。身体が重い。4kmの道のりが遠い。塵も積もればなんとやら……逆に積もらせてないと体はすぐに衰える……!


とにかく遊び倒し、しっっっかりと体調を崩し、で3月前半が終わった。早すぎる……
年度末、個人的に歳を重ねる月、何かとメモリアルな3月。積み重ねていくぞ。


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